東亜学園高等学校 バレーボール部
佐藤 俊博監督 インタビュー <後編>

第69回春高バレーの男子決勝戦。大会史上初の東京勢同士の決勝戦を記憶している人は多いのではないだろうか。
今回はその決勝戦を演じた東亜学園男子バレーボール部佐藤俊博監督に春高でのエピソードや前監督小磯先生との思い出話などを長時間にわたり話していただいた。

取材日:2017年1月18日

―ところでユニフォームには小磯先生のお名前がプリントしてありますよね。これはいつから着用されているんでしょうか?
このユニフォームは去年からです。もともと東亜学園に何種類かユニフォームがあったんです。僕は大学を卒業して4月から東亜に採用になることが決まっていたんですけど、早くチームに関わりたいと思っていたので、インカレが終わって1週間くらい経った後にチームの指導に加わったんです。それで1番最初の試合が春校の予選で、その年勝てば18年連続の春高出場だったんですが、その大記録を止めてしまったんですよね。それで、これはもう大変なことをしてしまったと。前監督の小磯先生も含めて2人で、お通しとビールだけで5時間半の反省会を…。お通しも枝豆だけで、生ビールをずっと飲みながら、これからについて話をしたんですけど、その中で、もうこれは色んなものを一掃しようと。僕が来る前の東亜学園ってメンバーは良かったんですけど。190cmが4枚くらいいて、本当に全国上位行くんじゃないかってくらい、日本一狙えるんじゃないかってくらいだったんです。だけど全国大会に出て1回戦負けみたいなチームで。態度も良くなくて、学校の中での評判もあまり良くなくて、そんなこともあって色んな部分を一掃しようと。まずは形から変えよう、新しいユニフォームを作ろうってなったんです。昔、小磯先生の前の馬橋先生が4回優勝して、星を4つ付けていたんですけど、その大記録を止めてしまって、星なんか付けるのはおこがましい。だから星を取ったユニフォームを作って、またそういう新しい星を付けれるようになったらその時に星を付けようと。ただ、今の東亜学園があるのは馬橋先生のおかげだし、残っているものでこれから強化をしていくわけだから、馬橋イズムは忘れてはいけないっていう意味で、ユニフォームに馬橋先生の馬のマークを、フェラーリのマークみたいな馬のマークがあるんですけど、その馬のマークをユニフォームに付けようと。それで星は取るっていう形でミズノにデザインを頼んで、今のユニフォームになったんです。それで、先生が亡くなって、そういう思いで作ったユニフォームなので、小磯イズムも絶対あるわけですよね。じゃあ小磯イズムはどうしようかってなって。馬橋先生だから馬になったんですけど、小磯先生ってなんだろうって…(笑)パンダとかえびす様みたいなイメージしかなくて、でもそれじゃ流石にピンとこないよな~って思った時に、公式記録の監督サインをするところに「y.koiso」っていつも書いていて「俊、お前も自分のサイン作った方が良いぞ~」とか言ってて、その時は「先生のサインって自分の名前をアルファベットで書いているだけじゃないですか!でもなんか先生っぽくって良いですね」なんていう話をしていたんです。それを思い出して、公式記録で残っているところから写メで写真を撮って、ミズノの方に「これでワッペンみたいなの作って目立たないところにさりげなくつけられますかね」って相談したら「大丈夫だよ」って言ってくれて。それで小磯先生が亡くなった次の年の春高予選に合わせて作ってもらったんです。
―やっぱり違いますか?ユニフォームに小磯先生のお名前があると。
どうですかね。高校生の場合って予選も合わせて1日3試合なんですよね。それで3試合分のユニフォームを僕がマネージャーと一緒に準備をします。それで先生のワッペンがあるユニフォームは1組しかないので、ワッペンあり、ワッペンなし、それからセカンドのユニフォームがあると、やっぱり子供達は最後にワッペンありのユニフォームを着ますね。だから特別な大事なところっていうイメージだと思います。それにインターハイ予選、春高予選、インターハイ、春高くらいの大会しかそのユニフォームは使わないので。私学大会とかそういう時は別のユニフォームを使うので、やっぱり思いいれは僕もあるし、子供たちもあるんだと思います。
―今の3年生が小磯先生に直接指導された最後の代だとお伺いしましたが。
そうですね。教わったというか、小磯先生は基本的に指導には来られなかったので(笑)こんなことを言うと怒られちゃうと思うんですけど(笑)小磯先生は基本的にお忙しくて、中々平日は来られなかったので土日の練習ゲームでも来られないくらいでしたので…
でも小磯先生と関わっていたっていう意味では最後の代ですね。今の高校2年生は勧誘の前半部分で声を掛けて、まだ返事をもらう前に小磯先生が亡くなってしまったんです。亡くなって最終的な返事を貰って本当に来てくれますか?って、こういう風にやりたい、一緒にやりたいので来てくれますか?と声を掛けたのは僕なので、微妙に今の2年生は先生に声掛けてもらっている子も何人かいます。ただ直接一緒に学校生活っていうところでは全然無縁でしたね。入学する前に亡くなってしまったので。そういうことを言えば今の3年生が関わった最後の代になりますね。
―試合でも大活躍だった上林選手ですが、セッター転向というのはやはり、小磯先生の選手を見抜く力だったんでしょうか?元々セッターだったんですか?
いや、中学の時に1箇所、2箇所セッターもやってたくらいだったらしいです。僕は見ていないので本人に聞いた話ですけど。それで、高校入ってセッターやりたいと。それこそ山本湧に憧れてセッターをやりたいと。最初は面白い、良いんじゃないかな~と思っていましたけど。それで小磯先生からも「なんとかセッターで育ててくれよ」と言われて。先生も根拠はなかったと思うんですけど、ちょっとハンドリングが良いかな~とか、大きいセッターで山本湧みたいになってくれたら良いなって期待値、希望値の方が大きくて。でも選手を見抜く力が先生にあったんですねっていうことを周囲の人に言わせるためには、僕がちゃんと育てないといけないなと思ったので。結果的にこうなって良かったです。
―今大会の活躍は素晴らしかったですね。大事なところでツーアタックも決まっていましたね。
そうですね。実は僕は預かって2日でこの子はもう駄目だと、無理だなと思いましたよ(笑)
―ええ!?
小磯先生にも「先生、無理だと思いますよこの子は。直澄は1番時間がかかって手がかかるし、多分僕持たないと思うのでセッターじゃなくてセンターで良いですか?」って。そしたら「俺、頑張って山形まで勧誘に行ったんだからさ~頼むよ~たまには俺の頼みを聞いてくれよ~」って(笑)でも本当にそうなんです。二回だけなんですよ、小磯先生に何か頼まれたのって。現場のメンバー起用とか、選手は誰を使う、外す、どういうローテで行くのかとかって全部僕に任せてくれていて。逆に「どうしたら良いですか?」って聞くと「いや、もう好きにやって」って。それだけ信頼してくれていたと思っているんですけど、「先生、これとこれで迷っているんですがどうしたら良いですかね?」って言うと「お前が好きな方で良いんじゃない」って。「先生、それ相談になってないですけど…こっちの方が良いんじゃないとかないんですか?」って(笑)「良いんだよ~」ってそんな感じです。でも逆に言えば僕はそれで自分で決断しないといけない、現場の中で決断しないといけないことで、力を養えたと思うので本当に感謝しているんです。だから選手起用で唯一言われたのはその2回だけです。1回目の時は栗山と高橋ってセンター2人ですね。この二人が入ってきた時に「下級生から使ってくれ」って言われて、「いや、先生無理だと思います。全然この2人はマッチしないし、自覚も無いですし、無理って言ったら無理ですけど、やっぱり無理ですよ」って言ったら「無理でも良いから使ってくれ」って言われて。「先生、この代勝てなくても良いんですか?」「良い!」って(笑)それでも使ってくれって言うんですよ。初めてこういうことを言われたので、「はい、分かりました」って。案の定、関東大会なんかは1回戦で負けたりするし。でもやるって言った以上は僕が無理だなって思いながらやったら駄目だから、必死こいてやろうとすると、当時の子供達が萎えてバレーボール辞めたいとか、きつい、つまらないとか、やらされてる感があるとかってなるし。だから「ああ~!」とか思いながらも、先生の頼みだからちゃんと聞かなきゃなと思って2年、3年必死にやっていく内になんとか様になってきて、ああ、あの時頑張って良かったなって僕も思います。それでその次に言われたのが、今の上林ですね。やっぱり本気で腹くくってやれば、たまたまその3人だけだったかもしれないけど、誰でもそういう選手に伸びるのかなって思いますよ。その3人だけじゃなくて、いっぱいそういう子もいますけど、先生から言われたのは2回だけなので。そうさせなきゃいけないっていう責任感ですかね。頼まれたらやっぱりちゃんとやり切りたいし、中途半端だったら引き受けたくないし、引き受けた以上はちゃんとそれがそれで良かったっていう風にしなくてはいけないなって。まあ直澄の件は我慢して頑張ったかな(笑)
幸いなのか、残念なのか分からないですけど、去年はザ・セッターっていう選手がいたので直澄は今年1年しか出番がなかったんですよ。
やっぱりバレーボールってセッターのウェイトが凄く大きくて。うちはなんでも打ち切ってくれる大エースがいるわけでもないし、高校バレーはそういうバレーじゃ勝てないと思っているので。
セッターには経験値とか、求める物も指導の回数も多くなってきますし。そういった部分では苦労しましたよね。それでも強いセッターを作らなきゃいけないなって思ったので、去年はやたらゲームを組みました。練習ももちろん大事、もちろんトスの技量とかセットアップするスピードとか色んな物は大事だけど、とにかくゲームの中でプランニングする能力をなんとかしないといけないなと思ったので、とにかくゲームを組みました。もうちょっと練習した方が良いんじゃないか?って自分でも思いましたけど、それでも割り切って直澄をセッターに育てるために、判断する力を養うためにゲームを組みましたね。
―それが功を奏して素晴らしいセッターに育ってくれたということですね。
そうですね、今回の春高では結構周りが見えていたと思います。冷静でした。なんでこの場面でこうなるんだよ、とかはありましたけど、それは指導しきれなかったのは僕の責任なので。今大会は概ねちゃんと周りを見てプレーしていたと思います。
―今後の上林選手の成長に期待ですね。
いや、今後は心配です(笑)ちゃんとそこまで育ってくれたかどうかはこれからなので。彼の内面が大人になって、自分で自己を持って活動出来る人間になるのか、なったのかは本当にここからが勝負だと思います。大学に行ったら凄い良くなるか、成長が止まってしまうかのどちらかだと思います。凄い良くなる要素もまだまだありますし、現段階でまだ出来ないプレーもたくさんあるし、だけど出来る可能性がある子なので。ただ、それを大学の指導者に委ねるのは違うと思うんですよね。自分の意志でこそだと思うので。だからそういう部分で凄く心配ですね。ただ、自分で考えることが出来る子なので。だからセッターとして成長出来た要素はそういう部分だと思います。
―大学でも頑張ってほしいですね。チームの話に戻りますが、今年のチームの目標などをお聞かせください。
もう残された目標は1つです。僕が目標を提示して今年は絶対こうするぞっていうんじゃなくて子供たちに自分達の1年間の目標を決めなさいって言いました。それで決めた目標を提示させて、その目標を達成するために必要なハードルであったり環境を作るのは僕の役目だから。そういう風にいったらもう答えは1つなんですよね。来年こそ春高で勝って終わる。それって=優勝しかないわけで、物凄い高いハードルなんです。その目標を立てた以上、そういうものを求めて指導しなければいけないので、きついですよ。出来ない子に言うのって凄いきついですけど、それが出来るようにしていかなくてはいけないので、必死こいてやっています。温度差や溝が出ないようにやっていきたいと思いますけど。2年生は試合に出ていたメンバーが4人、あとそれに加わる選手もやっぱりいて、5人は核になれる選手がいるので、すんなり頑張れるんですけど。要はそこじゃない他のメンバーたちが、どれだけこの5人にまとまってくっついていけるかっていうところが課題だと思います。来年こそ春高で優勝したいです。
―頑張って下さい。応援しています。今日はたくさんお話を聞かせて下さりありがとうございました。
ありがとうございました。頑張ります!
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