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トップ指導者&選手特集

千葉県立安房高等学校 剣道部
所 正孝監督 インタビュー <前編>

剣道界において所 正孝という指導者の名を知らぬ者はいないだろう。
習志野高校での全国制覇、安房高校での高校三冠制覇など、数々のタイトルと名声を手中に収めてきた全国屈指の名指導者である。
今回のインタビューでは今まで語られることのなかったエピソードから、所監督の剣道との出会い、今後の夢や目標などを詳しく伺った。

取材日:2017年3月21日

―安房高校でのご指導、お疲れ様でした。14年間のご指導の中でたくさんのことがあったかと思いますが、安房高校での思い出やエピソードなどがあればお聞かせ下さい。
いっぱい話しちゃって良いんですか?(笑)
―いっぱい話して頂いて大丈夫です!!
そうですね。最初に赴任したところが習志野高校という学校で、そこでは安房地区を、安房高校を倒そう倒そうとやってきたんですけどね。それで、習志野高校を率いてこの安房高校を、安房地区を倒して日本一になったわけですけれども、今度はこの安房地区、安房高校に赴任をしまして。
そこから今度は「打倒・習志野」でやっていくという(笑)この思いは複雑な思いがあったんですけれども、そういった両方の学校で、ゼロからスタートして頂点まで行くということに関しての、毎日毎日が本当に剣道漬けで。剣道のことだけを考えて動いている生活というのは、どこの学校さんもそうなんでしょうけれども、この2校に渡るお互いの戦いがとても私には印象に残っているというところですね。

エピソードというと関東大会に出場するための関東予選で、習志野高校はずっと連勝が続いていたんですけれども、その習志野高校の連勝を止めたのが私が赴任をした安房高校だったという。これはとても複雑な思いがありましたね…
―それまで指導してきた学校と敵として戦うわけですよね。それは想像しただけでも複雑な気持ちになってしまいますね。
話は変わりますが、安房高校での指導の中で嬉しかったり、やりがいを感じた出来事などがあればお聞かせ頂きたいのですが。
そうですね。まず赴任をして、とにかく3年後に館山でインターハイを迎えるということがありまして。まぁ地元開催ということで、それには何が何でも出場しなければいけないというものを背負って安房高校に赴任して来たわけですけれども。それが上手くインターハイで優勝するということが出来て、それに関しては本当に地元の方の応援があったり、OBの方の応援があったり、そういう中で成し得たものなのかなと思います。
習志野高校で日本一になるのが20年かかって。それで安房高校ではその短い期間の中で優勝が出来たというのはこの土地柄なのかなということを痛感した部分もありますが。
―そうだったんですね。そういった安房高校でのご指導の中で苦しかったりしたエピソードなどはありますか?
それはもう本当に、安房高校に来たときにはまっさらな状態だったので。そこから人を集めるということに関してはとても大変でした。
まぁ、ある意味習志野高校での自分のキャリアがあったからちょこちょこ集まったんですけど、本当に皆無のところで。地元の方も剣道人口がだいぶ少なくなって、昔の安房だとこの地域は剣道が盛んでしたから。その地域の子たちをなんとか鍛えていけば、ということは出来たんですけれども。もう本当に過疎といえば過疎ですから、剣道人口も減っている中で如何にしてまずは生徒を集めていくかっていうのは、とても大変な思いをしましたね。

それで色んな流れの中で、それまでに培った22年というキャリアや、周りの方が色々応援してくれたっていうところが1番だったんじゃないかなと思います。最初に集まった子たちがそんなに、なんていうんですか、光った子たちじゃなかったんですけど。僕の指導に一生懸命付いてきてくれたので目に見えるように強くなっていって形が出来ていったので。
それに関しては凄くびっくりしたっていうんですかね、やりがいがあるっていう思いをしました。
また最初に安房高校に来たときに部員が皆長髪だったんです。
―男の子が長髪だったとういことですか?
はい。まぁ長髪っていうか坊主ではないという意味ですけど。
昔の安房っていうのは皆坊主だったんですけど、最初に来た時は坊主ではなくて。部員はその頃はまだ沢山いたんですけれど、赴任した時に生徒たちに「これから日本一を目指してやっていくわけだけれども、強い学校に遠征したりする時にそんな長髪じゃ向こうも迎え入れてくれないよ。どうするんだ?もし長髪が良いんだったら剣道部辞めても構わないから、明日から坊主でやるからな」って言ったら翌日全員坊主にしてきたんです。
それで皆目がキラキラしていて、いや、これはもしかしたらっていう思いがあったことは凄く印象に残っています。それで自分もやる気になったっていうね。
―全員坊主にしてくるなんて、日本一を目指すやる気が感じられます。所先生と一緒に日本一を目指したい!という気持ちだったんですね。
そうですね、安房高校自体がとても伝統校で、卒業生として関わっていない人以外が顧問になるということが初めてのことだったんです。だから私自信も本当に身構えて来たし、当時は習志野高校が輝いていたので、子供たちもそういう学校で教えていた先生が安房に来る!ということで、なにかしら盗んでやろうとか、そういう思いが生まれたんじゃないかなと思うんですけどね。
それでその時の新3年生が食らいついてきてくれたので、流れとしては凄く良い方向になりましたね。
―安房高校就任時にはそんなエピソードがあったんですね!
次の質問ですが、安房高校で2010年には三冠を達成されましたね。今だからこそ話せるエピソードなどがあればお聞かせ頂きたいのですが
当時は千葉国体があったので、千葉県自体も丁度強化をしている頃でした。
だから本当に良い子たちっていうのは30人近くいたんですね。ああこの子たちは良くなるなって。その子たちは中学校の頃から先生方に鍛えられてきていたので。その中で色んな強化校に進んでいくわけですけれども、安房高に来てくれた子たちのモチベーションっていうのが本当に「国体で勝つんだ!」「国体に出るんだ!」っていう思いがとても強かったので、とても入って行きやすかったですね。

それで地域も、色んな地域新聞だとかが毎日毎日報道してくれるんですよ。
勝てばすぐに載せてくれるというのが子供たちにとって凄く良いモチベーションになったので、本当にその分についてはね、良い環境だったんです。
それと、選抜については正直狙っていたんです。その前の年からその子たちがインターハイに出ていてベスト8になったものですから。選抜は狙っていこうと。だから狙って獲った選抜優勝だったので、とても嬉しかったですね。

ただ、夏になると他の学校はやっぱり強化してきますから、他のポジションも補充されてくる中で、じゃあインターハイが獲れるかっていうと…。
またそれが沖縄開催だったので関東圏から離れるんですよ。そういう中での戦いってどうなのかなって思ってたところでしたが、ここは嫌だなって思う学校がそういう時には敗れてくれたり、上手くそういうタイミングが重なって。
そして決勝もまた同じ高千穂さんだったので、組みやすかった部分もありましたね。それでなんとかインターハイも獲れたんですけど。

今度そうなってくると国体で、単独校で出るっていうのがとても難しいんですけど。まぁ千葉県のライバル校にしても二冠続けて獲ったということで、同じチームの方が良いだろうということで、単独で出場させてくれた部分もあったんです。
ただ、逆にいうと今度はそれが凄く重荷になってきて…。
「国体で負けたらどうするんだろう…」一番大事なところで、二冠獲りました。でも一番大事なところで、もしこけちゃったらどうするんだっていう思いがあって、終わるまでは本当に凄く苦しい大会だったと思います。
―生徒の皆さんも緊張やプレッシャーで思うように体が動かなかったりとか、あったんでしょうか?
いや、ある程度はインターハイが獲れたので子供たちはノリもありましたのでね。もう「自分たちは負けるわけない」というそういう気持ちの部分もあっただろうし。本当に自分たちだけのチームで、気心知れている子たちなので。
選抜チームになるとお互い気遣い合ったり、練習時間も上手く合わなかったりするところがあった部分も、その年は一緒に生活も出来たので。その分では思い切って出来たんじゃないかなと思いますけどね。

私の方はとにかく「本当にどうしよう…」っていう(笑)
終わるまではどうしよう、これで負けちゃったら本当にどうしようかなって、決勝でも負けちゃったらどうしようかなって思う中でやっていたので。
その三冠の最後はしんどかったですね。
―所先生のような方でもそんな風にプレッシャーを感じられるんですね。ちなみに所先生はプレッシャーを感じている時はどういう風にケアされたりしているんですか?
僕はもう、お墓参りですね。
―お墓参りですか?
はい。試合前は大体自分に関わるところのお墓参りを、それこそ年休を取ってまでも、お墓参りをして試合に臨むという。そのスタイルはあまり変わらないですね。それこそ国体の時はそこら中行きました。
県を離れてまでも、お世話になった人のところにお参りに行ったりしましたね。
―そういった形で大会に臨まれていたんですね。
ちなみに所先生と剣道との出会いをお聞かせ頂きたいのですが、以前弊社のアンケートに「いじめられっ子の自分を育ててくれた」とお答え頂いていたと思うんですけど…
はい、その通りです。とにかくもう泣き虫で。
うちのお袋が洋裁とかをやっていたので、着る物がちょっと周りの子と違っていたり、ちょっとお洒落な格好をさせられていたんです。そういうこともあったんだろうけれども、よくいじめのターゲットにされていて。保育園の頃からずっっっといじめられていた子だったんです。
それでずっと泣いてばっかりいて。でもまぁその頃の親っていうのはどうしたどうしたにはならないので、ほっとかれる部分が多かったんだけれども。
あまりにも泣き虫だったもので、お袋が公民館でやっていた剣友会みたいなものに入れて、そこから私の剣道が始まったんです。

それをずっと続けていた時に中学校の卒業式間際、ずっと僕をいじめていた子がそこに来て、またちょっかい出されたんですね。剣道をやっている時にちょっかい出されたんです。それがもうどうしても許せなくて。映画までとはいかないですけど「分かった。ちょっと待っててくれ」と。練習終わった後に体育館の放送室みたいなのあるじゃないですか。「そこで待っていてくれ。後で行くから」と言って相手を待たせておいたんです。
それで実際に行って、そしたら立場が逆転してしまったんですよね。そういうことがあって、「なんで俺こんなに長い間いじめられてきたのかな…」って思ってきたことが一瞬の内にポッと解き放たれて、それもまた剣道のおかげかなと思ったんですね。

剣道を公民館でやっていた時は先生がいたんですけれど、中学校は専門の先生がいなかったんです。高校に進学してからも、剣道部の顧問は書道の先生で、まぁ高校時代に剣道をやっていた人なんですけど。今は書道の和尚さんです(笑)
私が学生の頃はそういった方々が剣道部の顧問だったので、とても剣道専門の指導者っていうものに憧れていたんですね。もし自分が専門の先生に中学校、高校と教われたら、どんなに向上出来たのかなと思って。それで大学は、専門の一流の人達が集まっていて、自分が選手になれなくても、その一流の世界を知って、教員になりたいなと思って専門の大学を選んで行ったんです。

そこで色んな人と出会って、八段の先生がいたり、一流の高校を出た先輩や同級生もいたり、やっぱり誰々先生に教わったんだよって言うと皆「ああ~!」って会話になるじゃないですか。他所にいってもね。でも私の場合は誰々先生と言っても誰も知らないわけですよ。書道の世界では有名な先生ですけど(笑)、剣道の世界では知られていない先生で。
そういう中で自分が剣道の指導者になって、所って言われたら「ああ、なるほど!」と良いも悪いも言われるような先生になれたら良いなと思って教員を目指したわけなんです。
実際教員になって習志野高校に赴任したのは実は偶然なんです。たまたま習志野高校に入れたんです。本当は川崎の小学校の先生になるはずだったんですよ。
―ええ!?小学校に行かれる予定だったんですか?
はい。小学校の先生になる予定でした。たまたま、その幕田魁心っていう書道の先生ですけど、その幕田先生が習志野高校で事務長をされていた方と電車の中でお会いされて。それで当時習志野高校で指導されていた先生が突然転勤になったので空きが出て「所は今何をしているんだ」と聞いて下さったんです。それで「川崎の小学校に行くみたいですよ」と言ったら「それは変われないのか」っていう話になったらしいんですね。でも私には習志野高校って一切言わないんですよ。そんなこと言われたら断るに決まっているから。
それで「ちょっと空きがあるんだけど千葉県に帰ってこないか?」って話になって「良いですよ」って行ったら習志野高校だったっていう…
―赴任先が習志野高校だと分かった瞬間はどう思われましたか?
もうね、騙された!!って(笑)感じで。とにかくみんなスポーツが有名な学校だったので、体育科も皆有名な先生でしたし。国体とかの季節になると誰もいなくなっちゃうんですね。それで自分だけ授業をやらなくてはいけない、1人で(笑)でもそういうのもなんていうか、自分に火をつけたっていうか。そういう先生方と?みながら食べながら指導法を教わったりして。それこそスカウティングを教わったり、日々の生活も教わったりする中で、徐々に自分もそうなっていけたって感じですかね。
―そうだったんですね…小学校にそのまま務められていたら、全然違う人生を送られていたかもしれないですね。
そうですね!全然こんな世界じゃなかったと思います。もっと楽しい剣道になっていたと思います(笑)
後編に続く

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