大分鶴崎高校 剣道部 後藤 昭徳先生
大分鶴崎高校 剣道部
後藤 昭徳先生 インタビュー

剣豪ひしめく九州。その中で、自身も剣を取って40年、「剣は心なり」の教えを体現している指導者がいる。大分鶴崎高校剣道部、後藤昭徳監督。昨年2013年は、女子団体において13年ぶりに春の全国選抜へ導き、見事3位入賞。王竜旗ではベスト8、その後8月のインターハイでは再び3位と、主要各大会でその存在感を示してみせた。

どんな豪傑かと想像していると、予想に反して穏やかな、柔らかな語り口。「真のつわものは柔らかなもの」と誰かが言っていたのは本当かもしれないと感じながら、この九州男児の指導極意をお聞きした。

取材日:2014年4月11日

―先生自身、ずっと剣道と共に生きてきたとお聞きしました。まずは、先生の剣道に対する思いを聞かせてください。
私という人間を構成する大きな要素かなと思う。小学校4年生、10歳のときから始めているが、剣道を通じて多くのことを勉強させてもらってきた。
もし私が剣道に接していなかったら、全然違う人生だったのかも。小学校のときに最初に習った先生をはじめ、多くの指導者に恵まれてきた。逆に考えてみれば、指導者の責任、力というのは凄く大きい。私の人生がそうであったように、その人の人生を左右すると言ったら大げさかもしれないが、かなりの影響力があるのかなと思う。指導者のはしくれとして、教えるということの責任を感じながら毎日稽古している。
―剣道無しの人生は考えられないという感じですよね。
そうですね。剣道から受けた、心の底にある礼儀などのウェイトが大きい。
剣道をやっていない私だったら、今、生徒の前で話している内容なども違ったのかもしれない。
―先生を強烈に魅了する剣道の面白味、醍醐味とは、何でしょうか。
対人競技なので、相手との駆け引き、心理戦などが醍醐味かな。
100ある中で100準備していっても負けることもあるし、タイミングが良かったり、巡り合わせが良かったら勝ったりすることもあるし。大分県中津藩の島田虎之助先生がおっしゃった「剣は心なり」、あれは、私が最初に習った道場の壁にかかっていた言葉だが、小さい頃はなかなか分からなかった。でも、最近は良く分かってきたかなという気がしている。心の状態が剣道に出るというのが面白いところ。
―「剣は心なり」を実感しておられると。
小学校の先生に、「お前は最近じいちゃんやばあちゃんとケンカしてないか?」と言われたことがあって(笑)。「剣道でそんなことまで分かるのか、自分の乱れた心や落ち着きのなさが竹刀に出るのかな」と思ったことを、鮮明に覚えている。
生徒たちにも、「剣道はメンタルの競技だよ」と話す。7~8割は心の競技だと、今でも思っている。
―その精神で、素晴らしい剣士たちを育てようとなさっているわけですね。
剣道だけやっていてもだめ。学生だから、勉強も学校生活もきちんとやらなきゃいけないし。それで初めて心も作られるし、周囲からも認めてもらえる。
「あいつ、剣道できるけど他のところはダメだ」と言われるのでは、せっかく頑張っても誰も評価してくれない。「剣道も頑張っているけど、服装もきちんとしているし、掃除も一生懸命やる、挨拶もきちんとできる、素晴らしいね」とどなたからも言われるようになってもらいたいし。常に自分たちが評価されている、見られているということは、気をつけておきなさいと話している。
―難しい年頃の高校生を指導するにあたって、気をつけていることはありますか?
小さなことでも変化が見られたらほめるようにしている。あとは、指導者のアドバイス、指摘だけに頼らず、自分たちの内面から変わっていってもらわないと強くならないと思う。
自分たちでこうなりたい、こうありたいという、内面からふつふつとたぎるようなものが出てくる仕掛けをするというか。私は実は、稽古中にはあまり口を出さないんです。特に気になったことだけを全体に指導したり個別に言ったりするだけで、あとはもう、「気持ちが集中してないよ」とか言うくらい。私たちはサポーターみたいなもの。
生徒自らが「もっと稽古をやりたい」「もっと強くなりたい」という気持ちになったほうがいい。たまたま去年のチームはそうだったので、だいぶ力が付いていった。指示しなくても、自分たちでミーティングしたり、何も言わなくても、目標をボードに貼ったり。「今度の試合はこうする」「ここを変えたい」とかいうのは自分たちで考えて。生徒たちから申し出たことについては、私は一切拒否も否定もせずに「やれ、やれ」と言っていた。だから、生徒たちは安心して、のびのび練習をやってきたと思う。
―今お話を聞いていると、先生はどちらかというと優しいタイプの指導者なのかなという印象…。
どうなんでしょうね(笑)。稽古中では、そりゃあ、1対1で向かい合ったときなんか怖いかもしれない…。
私、背も大きいので、特に女子はね、威圧感感じるかもしらんし(笑)。でも、面を外せばね、ひとりのおっさんになりますから(笑)。生徒が言いたいことも言えない、思ってることも発言できないような雰囲気は、良くないと思う。そんな風だと、自分で考える力は絶対出てこないから。生徒が工夫して分からんかったらアドバイスというような、独特の距離感がいいのかなという気がしている。
―先生独特のトレーニング、練習メニューなどありますか?
実際に見た方は「え!?そんなの?」って思うほど、ほんとに普通。特別なことはやっていない。どちらかと言えば初心者向けで、基本をみっちり。大きな声を出して大きく振ったり、きれいに強く打ったり。切り返し、打ち込みなどの時間が長い。
あと、今やってるのは、5分刻みで、自分たちで技を考えて練習するということ。仕掛け技とか応じ技とかに限定せず、自分が今弱点としていることとか、これから身に着けていきたいことなどを稽古までに考えてくる、その中でいろいろ試させている。
気をつけているのは、「この練習はこういうことのためにやる」という理解をさせるということ。技の理屈というか。例えば、応じたり駆け引きしたりするのも、それは結局、1本取るための手段。小手が来た時に小手を返すのも、うまく返しても、最後が悪かったら1本にならない。返したことは手段であって目的じゃない。いろんな技を駆使して、いろんな手段を使って、最後は有効打を取るという目的に近づかないといけないと話している。
―練習の目的をしっかり説明しているのですね。
単純なことで、こんなことも知らないのかということが結構ある。子供たちは感覚でやってる部分もあるし。トレーニング原則で言えば、反復性とか漸進性とかいろいろあるが、意識性というのも凄く大きい。
今やっていることは、何のためなのか、何のために自分は今こういうことをしてるのかを気づかせる。そうすると、やはり手は抜けないということになるから。逆に、「とりあえず100本振れ」とか、「負けたからずーっとすり足やっとけ」とか、そういうことは言わない(笑)。
―罰的なことはやっても意味はない、と(笑)。
さて、最後に、全国の指導者の方々、また剣士たちに、アドバイスやメッセージをお願いします。
私なんかポッと出で、去年たまたま勝っただけで、今年はどうなるか分からないから恥ずかしいが…。
今の稽古が明日に役立つわけではなく、数か月、潜伏期間みたいなものがあるんですね。ずーーっとやっていったら、ある日できるようになる。稽古は修行の面もあるし、すぐに結果を求めようと思ってもなかなか出ないので、根気よく地道に。単純な稽古でも、何でこれを?ってことが分かれば、納得してできると思う。だから、「これはこれくらいしないと身につかない」とか、「こうしないと次の段階にいけない」とか、そういう説明をきちんとしてあげて、地味な稽古の中にでも喜びを見出してあげると、続くと思う。
―基本練習って、たいてい面白いものではないですものね(笑)。
そうそう。でも、応じ技とか試合の中のもので見ても、結局は基本の組み合わせ。学問に王道なしというように、剣道にも近道はない。私自身もあまりまじめにコツコツやるほうではないので恥ずかしいが(笑)、最後には努力は報われると信じて、努力するしかないので。
もう1つ、生徒に最近言っているのは、切り返しでもかかり稽古でも、それがすべて1本になるような打ち方を意識しようと。その1本が、もしかして最後の1本になるかもしれない。剣道の難しいのは、自分がいいと思っても、審判という第3者が判断するということ。常にそこには審判が3人立っているつもりで練習する。1本にならないような練習をしても、1本にならないからダメだと言う(笑)。「今のはなんで1本にならないと思う?」と聞くと、「体の抜けが悪い」とか、「踏み込みが悪い」とか、そういう答えが返ってくる。「じゃあそれを意識しないと、何回やっても同じだよ」と言う。どんな稽古をしたかよりも、どういう意識で稽古したかが大事。

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