千葉県立安房高等学校 剣道部
所 正孝監督 インタビュー <後編>

剣道界において所 正孝という指導者の名を知らぬ者はいないだろう。
習志野高校での全国制覇、安房高校での高校三冠制覇など、数々のタイトルと名声を手中に収めてきた全国屈指の名指導者である。
今回のインタビューでは今まで語られることのなかったエピソードから、所監督の剣道との出会い、今後の夢や目標などを詳しく伺った。

取材日:2017年3月21日

―所先生にとっての剣道の魅力とはどんなところにあるのでしょうか?
剣道は本当に私なんかもそうですけど、長く続けていれば必ずどこかで花が咲いてくる。例えば選手として活躍する人もいるでしょうし、試合ではそんなに強くなかったんだけどずっと努力を積み重ねて審査で八段に受かったりだとか。私みたいに選手として活躍しなくても指導者として目立つような存在になれたりだとか、日本一を経験出来たりする。中々そういう競技も無いし、本当に運もツキも無いと日本一になれないんですけど、剣道ほどまさかのスポーツは無いと思います。

いざ、チームを作ってみてこれは勝てないなと思っていても、思いもよらない試合で勝ってしまったりだとか。その時その時の場面があるからこそ、日本一になるっていうこともあるし。
だから諦めなかったら可能性っていうのは物凄くある。例えば陸上だとか、コンマ何秒だとかの世界だと中々ね、水泳とかでも破れない記録とかあるけれども、剣道って5人揃ってそこそこやれたら、日本一の学校に勝ってしまったりするんです。何回もやればですけど。

そういのがやっぱり他のスポーツにはないものかなと思います。
思っていれば何か起こるというのかな。
―所先生は剣道のことを「まさかのスポーツ」と色んな取材でもお答えになっていますよね。先生が身をもって経験された「まさか」のエピソードがあれば聞かせて頂きたいのですが。
やっぱり自分が日本一になったっていうのがありますね。
高輪高校が優勝した時も、習志野高校の時にずっと遠征に来て1回も勝っていないんですよ。100回やって99回習志野高校が勝って、たった1回引き分けたくらい。それがインターハイの場面で逆転されてしまう。
でも逆の立場もあるわけですよ。
私が桐蔭高校に行って桐蔭にずっと勝てなかったのが、この間の館山のインターハイもそうですけど。いくら桐蔭と試合をやっても勝てなかったんです。あの時も桐蔭に遠征に行っていて全然勝てなくて。ましてインターハイ決勝のスコア的にもああいうスコアになった時には100%勝てないんですよ。それが周りの雰囲気だとか、地元だとか、そういう風に押されて有り得ないことが起きちゃうんですね。それがやっぱり凄いなって思うんです。

桐蔭戦も具体的に言えば先鋒が一本勝ちして、次鋒が一本勝ちして、中堅が一本負けして、副将が二本負けしたんです。本数で負けてるんですよ。それで大将戦で嶌津と藤井がやったら、絶対勝てないんです。嶌津は藤井君に勝ったことも無いし、引き分けがやっとくらい。それが二本勝ちしてしまうんですよね。あれが練習試合だったら藤井君は多分攻めないで、こう、時間を使いながらやれば、間違いなく引き分けになるんですけど。来てくれたんですよね、ガンガンと。そういうことって剣道では起きるので、本当に色んな意味で諦めないでいれば必ず何か出来るということですかね。
―ありがとうございます。話は変わりますが、本当は小学校に行くはずだった所先生が(笑)剣道強豪校で有名な習志野高校に赴任されて、じゃあこれからどのように指導していこうかって思われたんでしょうか?
それはもう本当に必死だったですね。まず前の先生がとても有名な先生だったので。その先生を慕って来ている子供たちがいるわけですから。
それでよく分からない先生が入ってきたと。安房高校の時は習志野でのキャリアがあって有名でしたから生徒も構えてくれていたんですけど(笑)。習志野の時は22歳の大学出たての奴がポッと入ってきたので。まずはその3年生とね、お兄さん感覚じゃないですけど、前の先生が高いところにいた分、ずっと降りて親しくやろうという感じで接したんです。

だけどそうすると、それを見ていた2年生が駄目になるんですね、代が変わると。だから、とても色んな部分で苦しい思いをしましたし、人集めも来ないわけですね、やっぱり。だから目立たないと言ったらおかしいですけど、チャンピオンだとか2位だとかそういう子たちを求めるのではなく、3番手4番手くらいの子たちにお願いして習志野高校に入ってもらったんです。
それでその子たちも運が良いんですよね、3年後くらいには県で優勝するわけですから。そうすると周りの見る目が変わってくるので徐々に人が集まってくるんですよ。

その間も九州遠征に行ったり、当時は九州がとにかく強かったですから。亡くなった吉本先生だったり井上先生だったりとか、あの辺の先生方にびったりくっついて、何を話しているのかなと。そういうことまで全部メモを取って練習内容も全部メモを取って、それを帰ってきて実践するみたいな、それの繰り返しでしたね。

さっきも言ったように習志野高校は体育科の職員も皆一流の先生だったので、そういう先生方の話を聞いたりして自分が学んでいった部分がとても大きかったのかなと思いますね。
それこそ勝てないで死んじゃうかなと思った時もありますよ、本当に。どうしようかなって、そういう思いはありましたね。
―そんな辛い時期もあったんですね…。
九州遠征に行ったりしたと仰っていましたが、大学でも指導者になるために勉強されたわけですよね。地方に遠征に行こうと決意されたのはどういったことからだったんでしょうか?
やっぱり、習志野高校という伝統校に行ってしまったので、この子たちを勝たせなければいけないっていう、勝ちを教えてあげなければいけないっていう思いがありましたね。あと僕自身も高校時代2位で終わっているので、優勝というものを味わわせてあげたいなっていう思いが本当に強かったです。
その時はなんていうんですかね、色んなところに行くことが苦しいとも思わなかったし、辛いとも思わないし、とにかく一生懸命勉強して学んでこの子たちに返してあげようって。

綺麗ごとじゃないですけど本当にその時はそう思っていましたね。
でも中々勝てなくてね、その時は。やっぱり自分のところだけじゃないですから。簡単に勝てない。県で勝てても全国に行ったら勝てない。そういう状況でどうやったら日本一になれるのかなって色々と考えましたよ。
―そうだったんですね。今まで色んな学校に遠征に行かれた中で強く印象に残っている指導法だったり思い出などはありますか?
九州に行った時ですかね。その頃は鍔迫り合いの引き技が隆盛だったので、剣道をさせてくれないんですよね。触れた瞬間に引き技で終わるんです。それで足の踏み込みなんかも竹刀の打ちもドンドンドンドンっていう踏み込みがとても印象に残って。
これは足から教えていかなければいけないなって思いにさせてくれたのが僕の指導の原点になっています。
―ちょうど今お話し頂きましたが、所先生と言えば「足捌き」のイメージを持たれる方も多くいると思います。具体的に足捌きが重要であると思われたエピソードがあればお聞かせ頂きたいのですが。
まず、発端は九州の剣道の足の踏み込みっていうのがとても印象深くてですね。やはりこっちの関東圏っていうのは足で踏んでドーン!っていう踏み込みで打つことがあまりなかったので、その踏み込みってどうやってやるのかなと。
そこからは勉強になるんですけど。
私は高校の授業なんかでも剣道の授業を教えたりするのですが、初心者の子たちに剣道を教えると素振り自体は出来るんです。竹刀を振ることは。でもそれが手と足を合わせるということになると初心者の子は何回やっても全然合わないんですよ。

そうするとやはり振ることよりも、下肢の方が大事なのかなと。そっちを教えてから竹刀を振らせた方が早いかなと思ってやってみると、やっぱりそうなんですよね。どうしても振ることや強く打つことから教えたりするんですけど実際は上半身が曲がったりだとか、腰が引けたりする。ということは姿勢そのものがおかしかったり膝が曲がっていたり、体重の乗り方だとか足幅だとかそういうところに原因があるということなんですよね。そういうことが自分でも痛感出来たので、その部分については重要視しています。

それと、やっと出来たんですよ道場が。(安房高校は道場の改築工事を行なっており、先日新道場が完成した)ずっと体育館で練習をやっていたので、体育館はやっぱり床が堅いので足捌きの稽古がし辛いんですよね。やると踵を痛めたり膝を痛めたり腰を痛めたりするので。
やっとこの道場が出来たので、そうなると全然違いますね。
その辺はやらない部分とやった部分があったりして、その違いっていうのはよく感じることがあります。三冠獲った時も学校の立て直しがあったりして、南校っていうところで練習をしていたりしたんですけど、そこの床も硬くて、1年の時は足捌きをやったんですけど、他の時はやらなかったり。
そうすると伸びが止まったりとかあったので、如何に足捌きが大事かなっていうのは自分でも痛感しています。
―所先生が足捌きを重要視されている根底にはそんなエピソードがあったんですね。ありがとうございました。
それでは次の質問に移らせて頂きます。剣道内容も子供たちも時代によって変化が現れたりすると思いますが、変わり続ける時代の中で所先生はどのように指導をし続けているのか、また今後もどのように指導にあたられるのかをお伺いしたいです。
丁度その部分は悩んでいるところですね。これからどうしていこうかって思うんですけど。昔の時代だと例えば、所っていう奴がきたとして、じゃあ所に教わりましょうっていう流れになる。その中で生徒たちは意味が分からなくても、こういうもんだって言えば一生懸命それについてくる部分があったんです。
けれど最近の子供たちは説明しないと解らない。

理屈を話してあげないと駄目ですね。まして本当に素人だったら違うんでしょうけど、今、こういう風に安房高校っていう存在になった時に、ある程度中学時代に実績を残してきた子供たちが入ってくるわけですよ。当然そこにはそれまで教わってきた先生方がいるわけですよね。そういう実績を自分が出してきているので、更にアップするにしても、説明をしてあげなければいけないっていう。

だから頭で教えていかないといけない。「右向け右!はい!」っていう時代ではもうない。教育そのものがもうそうですけれど「これこれこうだから、こうやってしましょうよ」って言わないと動けない部分がやっぱりあるので手間がかかる。
あとは叱り方ですね。体罰の問題もあったりと、色んな部分で皆敏感になっているし、簡単に感情を表に出してはいけない部分があります。
だから自分で一回我慢をして、どっちが良いかは分からないですけどね、我慢をして考えて話すっていう。その時思ったことをババっと返すのではなくて、その辺のところを吟味して次の日に話さなくてはいけないっていう部分がとても大変です…。

もう、ベンチが怖いから、対戦相手は大したことないっていう時代ではないので。顧問の先生に叱られるから、先生に後で稽古されるから相手をやっつけるんだっていう思いではないですからね。その辺のところは説明をしなければいけないっていうのは本当に難しいですね。
―怒られると傷ついてしまいますもんね。
はい。所謂挫折を知らないっていうんですかね、だから倒れたら立ち上がらずにガーンと落ちてしまうんですよね。
最近味わっているのは生徒が「もう辞めたい」って言うんです。
前はそんなことなくて「悔しい」だったものが「こいつらに申し訳ないから自分は辞めたい」っていう子もいるわけですよ。そういう意味でも昔とは子供たちが違いますのでとてもそこの部分は難しいですね。でもそういう子の方が最近は多いのかなと思います。

だから指導の面で指導者も変わっていかないと難しいのかなって自分で思ったりしながらも、でも前みたいにした方が良いのかな?って思ったりとかね。
厳しくというか「屁理屈なんか言わずについてこい!」っていう風にした方が本当はついてくるのかな?と思ったりもします。
―実際にそういって理屈なしに怒られたりされるんですか?使い分けている感じですか?
使い分けてますね。使い分けるんだけれど、難しいです中々。とにかくどちらにせよ考えることは考えますね。ともかくこれを教えたいんだけど、どうしたら分かってもらえるのかなって思ったり。万人に通じるわけではないじゃないですか。この子とこの子はこうだけど、この子はこうだなとかがあるので、まず考える作業を先に行ないますね。

でもそれは年を重ねたからかもしれないです。私が若ければもっと直情型になるかもしれないですけど、周りのことを考えたり、その子のことを意識したり、親を意識したり、全体を意識したりっていうことが生まれてくるのでぽんぽんっていかないのかなって思ったりね。
―様々なことや状況を考えながら指導にあたられていらっしゃるんですね。ありがとうございます。
話は変わりますが、所先生は今後指導の場を翔凜学園中学校・高等学校へ移されると思うのですが、そこではどのように指導していこうと思われていますか?ビジョンだったり意気込みだったりをお聞かせ頂ければと思うのですが。
この前撮影したDVD(柔よく剛を制す 足を鍛え 左を鍛え 強くなる)もそうですけど、今度は自分が伝えてあげる側じゃないかなって思うんです。
自分が旗振ってよし!って行くんじゃなくて。まぁそういった部分も求めますけど、要するに指導者を育ててあげたいっていう思いがありますね。
だから次の翔凜学園に指導に行くんですけれど、若い先生方もいらっしゃるわけですよ。中学校の女性の先生もいたり、佐々木昭一という日本一になった私の教え子がいるんですけどね。その子は務めていた警察を辞めて今、翔凜学園で指導にあたっているんです。

そういった指導者たちに何か良いアドバイスをしたり、私が教わってきたことを若い指導者に教えて、日本一という夢を追っかけて実現してもらいたいなっていう思いがありますね。中学校もそうだし、高校もそうだし、色んなものを伝えられたらなって思います。
―そうしたら今後は翔凜学園剣道部の顧問として安房高校とも戦うことになってしまうんでしょうか…?
そうなんですよ。しかも同じ地区なんですよね…。でも今度は安房の子たちもみないといけないので。
―安房高校でも継続して指導されるということでしょうか?
はい。安房高校では剣道部の師範として籍をおかせてもらうので指導に来ます。
―では安房高校と翔凜学園が対戦することになられたら所先生は立場的にどうされるんですか?
それはもう、私は一歩引いて「お互い頑張れ」っていう感じですね。(笑)
練習も土日は一緒にやるっていう風にしています。今日も中学生の男子が来ていますけど、そういう風に色んな形でやれれば良いなと。ライバルだとか敵だとかそういう気持ちじゃなく、自分が味わってこられたものを伝えてあげられたら1番幸せだなと思います。

あとは私学だったら出来ることも考えています。色んな教え子がいるわけですよね。それでその教え子の子供もいるわけですよ。その子たちを親も子も教えるみたいなこともやってみたいなと。楽しいと思うんですよね。
―「君のお父さんは当時こうだったんだぞ」的な感じですね。
そうです!それで一緒にやって、それで私も年を重ねるわけだから、生徒に「先生しっかりして下さいよ、頑張って下さいよ」ってお尻叩かれるみたいな(笑)そういうことは私学だと出来るのかな?と。分からないですけどね。公立高校だと学区があったり地域があったり色んなことがあるので。私学は私学の大変さがあるとは思うんだけれどもそれは1つの夢かなと思います。そしてファミリーで剣道を楽しめるっていう。もちろんそこに勝ちがついてくるともっと盛り上がるんでしょうけど、そういうことが出来たら晩年は楽しいのかなって思います。
―ありがとうございます。今も少し触れて頂きましたが、所先生の今後の目標をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?
やっぱり夢はね、どこに行っても日本一を目指すことで輝かしてあげたいっていうのは顧問であり、生徒であり、そういうもので輝いて欲しいなって思う部分は変わらないです。それは自分の原動力でもあるし、自分がいじめられっ子じゃないですけど、今こうしているのも本当に剣道のおかげなので。剣道がなかったら縁もないし繋がりもないし、こういうメディアに出たりっていう世界もなかったので。そうやって自分が生きてこられたので、そのことをやっぱり自分は伝えていかなければいけないなって。そういう人が何人も出来たらそれは幸せなんじゃないかなと思うんですよね。

だから本もDVDも大事にしたいのは、残せるっていうことですよね。最初にDVDを出した頃もまぁ元気な頃だったので周りの年上の方々から「お前、全部教えちゃったら大変だろ!」って叱られたこともあるんです。でも、実際に今もそうなってしまっていて勝てなくても、私は変えないんです。
それ以上の進歩を自分がしていかないと駄目だっていう思いがあるので。それはそれで励みになるし、自分の娘にしても教え子にしても何にしてもそういう形で残せる。人ってやっぱり記憶が薄れていくものだから、形で残っていけることが一番良いことだし、こうやって一生懸命やっている子たちが雑誌に載るとかDVDになるとかは、励みになるし、剣道をもっともっと好きになってくれるんじゃないかなって思います。
―ありがとうございます。
それでは最後に3月27日から始まる選抜大会への意気込みをお聞かせ頂ければとお思います。
選抜ね!これはね、本当に悔しいの一言なんですけれど。本当は男子が出たいんです。ここしばらく男子はとても強いので。でも県で中々勝てないんですよね。この時期が尚更…だから男子が出れば本当は「日本一!」と言いたいんですけど。女子はまだ若いチームなのでステップアップしていければなって思います。まだ女子はインターハイでベスト8が最高なんです。だから今回トーナメント制に変わって戦い方も変わってくるので、チャンスかなと思う部分もあります。また2年生が1人のチームなのでそれがまたキャリアに繋がって一歩前進出来たら良いなと思うんです。

だから最善を尽くして、やれるだけのことはやって、1つでも2つでも勝ち上がって形を作って、この子たちが2年後くらいに勝負出来たら一番良いかなと思うんですけどね。それをまた繋いでいきたいなという思いで今いるところです。
―長時間に及ぶインタビューありがとうございました。選抜でも頑張って下さい!また、今後の安房高校、翔凜学園でのご活躍を陰ながら応援させて頂きます。本日は本当にありがとうございました。
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