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東海大学付属諏訪高等学校 バスケットボール部
入野 貴幸監督
飛龍高等学校 バスケットボール部
原田 裕作監督<中編>

実はこの二人、学生時代にチームメイトとして同じ時を過ごした間柄である。
入野の方が一学年上ではあるが二人は年の差を感じさせない程に仲が良い。
平成29年度のウインターカップでは入野は長野県代表として、原田は静岡県を代表して全国大会に揃って出場を果たした。同大会での二校の素晴らしい活躍を記憶しているバスケットファンは多くいるだろう。
トップ指導者&選手特集51回目は、前編・中編・後編という形で、二人のインタビューをお届けすることになる。奇しくも今回の記事で51回目となる記念すべき掲載に、日本バスケットボール界を支える若き指導者二人の特集を組めるとは、なんと幸いなことであろうか。
中編では二人が指導者の道に進もうとしたきっかけや経緯、指導者にとっての悩みや喜びを包み隠さず語ってもらった。

取材日2017年12月23日

―それではここからお二人それぞれに質問をしていきたいと思います。入野先生は大学卒業後すぐに指導者としてのキャリアをスタートされましたが、指導者になろうとしたきっかけはなんだったのでしょうか?
入野:高校で神奈川から長野に来た時に、正直に言ってしまうとバスケットのレベルに違いを感じました。バスケ人口とか地域性とか、他にも色々あるので仕方がないこともありましたけど、その時に生意気にも「将来、帰ってきて長野のバスケを変えたい!」っていう野心みたいなものを抱いたことがきっかけですね。そして高校時代の恩師である有賀先生に相談して「大学を首席で卒業してこい。そうしたら可能性があるぞ」って言われたんです。
先生にそう言われたこともあり、1番を取るために勉強を頑張ろうという気持ちになりました。また、教員になるための勉強をするために、最初は大学でバスケをやる予定ではありませんでした。
しかし、高校3年生の時に陸川先生(※陸川章…東海大学バスケットボール部監督、元日本代表)が、東海大で教えてくれることを耳にしました。周囲にも「全日本のキャプテンをやっていた人が指導者として来られるから、バスケを続けたらどうだ?」と言われて、大学でもバスケを続けることにしたんです。そこで、偶然にも陸川先生の就任1年目に自分が大学1年生となったわけです。陸川先生が最初のミーティングで「日本一を目標とする」と発表し、そこから「バスケでも勉強でも1番をとる」文武両道が始まりました。目標が決まったので、それを達成するために考えて行動に移し、夏休みも練習や合宿の合間に、教員養成セミナーを受講したりしていました。
でも大学を卒業してすぐに教員になるか、正直に言うと迷っていた部分もありました。他の仕事をしてから教員になるのも選択肢の一つだなと思っていて。だから積極的に就活もして何社か内定を貰えました。だけど最後のところで迷って、その時に内定を貰っていた会社の副社長に呼び出されて「入野君、人はいつか棺桶に入る時がくる。その棺桶に入る時に俺の人生最高だったって、ガッツポーズ出来る方の人生を選べ」って言われたんです。その時に「じゃあ教員になります!(笑)」と言って、今に至ります。
―ドラマみたいですね。
入野:いや、あの時は本当に悩みました。当時は人込みの多い都会でバリバリ仕事をしてみたいなって憧れみたいなものもあったんです。だけど最終的には教員っていう、自分の夢だった道を選んだからこそ、今でもずっと続けていられるのかなって思いますね。
―ありがとうございます。原田先生はどのようなきっかけで指導者になろうと思われたんですか?
原田:僕も大学4年の時に、バスケットに全く関係がないところでしたけど就職が決まっていたんです。それでたまたま東京に住んでいた兄2人と、福岡から仕事で来ていた父親の4人で集まる機会があって、その時に「お前はそれが本当にやりたいことなのか?」って聞かれたんです。それで「実は将来的にはバスケットの指導者になりたい」ってその時初めて父親に言いました。父は絶対に反対すると思っていたからずっと言えなかったんです。父は僕がバスケットをやっていることを特別応援してくれていたわけでもなかったので、今まで試合に応援に来てくれたことも無い。まず、父親はバスケットに興味が無いんです。バスケットではなく野球に興味がある。巨人ファンだから(笑)
入野:福岡なのに巨人?(笑)
原田:そう。小さい時には巨人のキャンプに連れて行かれてました。
入野:それって、根っからのファンだよね。
原田:根っからのファンです。
入野:親父さんの影響もあって裕作は野球が好きなんだね。
原田:野球大好きです。だから僕も巨人ファンです。ちゃんと巨人ファンって書いといて下さいね。
―分かりました(笑)
入野:凄い詳しいもんね。
原田:巨人大好きです。だから巨人が負けるとそれだけでイライラする(笑)
ちょっと話が脱線したんですけど、その時、父親に「バスケットをやれば良いじゃないか」って言われたんです。でも指導者になるための勉強をするんだったら、高校と大学でアメリカ遠征を経験させてもらったこともあり、アメリカで勉強したいという気持ちがありました。そのことも言ってみたんですよ。そうしたら一番反対すると思っていた父が「お前はやりたいことをやれるんだったら、やってみても良いぞ。アメリカに行っても良いぞ」って言ってくれたんです。学生時代にバスケットをしていた兄達も、凄く背中を押してくれて、僕を応援してくれました。
でも実はそれ2月末の出来事で、すでに就職先の内定式とかも全部終わってた時期だったんです…
―ええ!?
原田:だから次の日、まず学校に「すみません…内定を断りたいんですけど…」って言いに行きました。かなり気まずかったです。それがきっかけですね。一番反対すると思っていた父が、バスケットをやってもいいって言ってくれたので。実際に渡米したのはビザとか、色々と準備があったので夏になったんですけど、向こうのシーズンが始まるのも夏からなので、それに合わせて行きました。あとアメリカで色んな人に会って話をするうちに、バスケを勉強したいんだったら絶対に大学のチームに入った方が良いと言われたんです。それで高校、大学の時の遠征先でもあるカルフォルニア州立大学ロサンゼルス校が受け入れてくれることになり、そこから2シーズンチームに帯同しました。
とにかく雑用係でしたけどね。マネージャー兼アシスタントコーチではあったんですけど、基本は雑用です。選手のユニフォームは全部僕が洗っていました。遠征先とかでもユニフォームを洗うんですけど、すぐに乾かないんですよ。だからユニフォームが盗まれないように乾くまでそばで見ていなくちゃいけない。そうすると寝るのは深夜の3時とか4時になる。次の日も朝が早いし、試合のビデオも僕が見なくちゃいけない。
―スカウティングの仕事も任されていたんですね。
原田:スカウティングは、僕が一番見なくちゃいけなかったんです。まずは監督とチーム全員で見て、次はアシスタントコーチと僕が見るんですよ。それでアシスタントコーチが帰った後でまた僕が2~3回見るんです。そういう生活をシーズンの試合期間中はずっとやっていた。それでビデオを見た後はレポートを一生懸命書いて、片言の英語で伝える。
―英語でのコミュニケーションは如何でしたか?
原田:その時は、なんとかコミュニケーションを取るしかなかった。でも相手が言っていることは大体分かるようになってきていたし、最初は大変でしたけど2シーズン目は結構色んなことが分かってきて、楽しくやらせてもらいました。きつかったし、貧乏生活だったのでガリガリに痩せていましたけどね。今よりマイナス10キロです。とにかくお金が無いのでどこを削るかっていうと食費しか削れないんですよ。チームがロサンゼルスにあったので車が無いと生活が出来ない。だからガソリン代はキープしなくちゃいけないので、食費を削るしかなかった。一番厳しい時なんかは、アメリカの100均で7食入りのラーメンを買って1週間過ごしました。1日1食で(笑)
―健康面は大丈夫でしたか?
原田:いや、げっそりしていました。
入野:でも若いから乗り切れたんだよね。今同じようにやったら絶対に身体壊すよ。
原田:でも楽しかったです。今思い出すとそういうことも笑い話になるから良いです。
入野:それで、なんで教員になったのかって質問だよ!
原田:そっか!教員になった理由か!
―入野先生、軌道修正ありがとうございます(笑)
原田:ええと、アメリカから帰国してからは、色んな伝手をたどって鹿児島にあるレノヴァ鹿児島というチーム(現・B3所属レブナイズ鹿児島)にアシスタントコーチとして加入することになりました。そのチームに所属している時に、チームの知り合いから急に「静岡県の飛龍高校で監督をやってみないか?」ってお話を頂いたんです。実はその時、とにかく自分のチームを見たかったんですよ。カテゴリー関係なく、自分のチームを持ちたかった。
―アシスタントコーチとしてではなく、
原田:はい。自分がトップとしてチームを見たいって思っていたタイミングだったので、そのお話を受けさせていただいたのが教員になったきっかけですね。
―ちょうど自分自身のチームを見たいと思われていた時にタイミングが巡ってきたんですね。
原田:そうですね。タイミングが大きかったですね。また面白いのが、鹿児島での生活もとにかくお金が無かった…お給料がなかなか厳しくて…
入野:それ何歳の時?
原田:24歳くらいかな。実は僕、アメリカから帰国した後レノヴァ鹿児島に行く前に6月と7月は小学校の先生をやっていたんですよ。知り合いの校長先生の紹介で働くことになったんですが、とにかく小学校の先生がその時不足していて、僕自身の仕事としては、まず1年生から6年生の体育を全部見ていました。それから算数とか英語の授業のTT(少人数指導)についたり、色んな先生の採点とかを手伝ったりしていましたね。
入野:ある意味羨ましいですよね。色んな経験をしていて。
―そうですね。
原田:小学校の先生は2か月くらいやらせてもらいましたけど、本当に楽しかったです。
―小学校で働かれた後にレノヴァ鹿児島という流れになるんでしょうか。
原田:そうです。それで鹿児島では給料が厳しかったので、結局バイトで生計をたてなくちゃいけなかった。でも練習もあるのでバイトもそんなに入れられない。だからバイト代も大した金額にならないんですけど、それでなんとかやりくりをして。住む家も曰く付きのアパートに住んでいました(笑) 鹿児島での2シーズンも貧乏生活で、その時もげっそりしてました。お金が無かったので肉が買えず、野菜ばっかり食べていました。キャベツかもやしか、たまに玉葱安いぞ!みたいな(笑)
―テレビのサバイバル番組みたいな感じになってきましたね…
原田:どうにかしてお腹いっぱいにしたいと思った時は、野菜を温野菜にして食べてました。僕は当時からお洒落だったので(笑)玉葱まるごと温野菜にしてました。
入野:オニオンスープ的なやつにしてたんだ(笑)
原田:人参も大きく切って温野菜にすればお腹いっぱいになる(笑)
入野:そういう生活の話を聞くと裕作は本当に凄いと思うよ(笑)
―お二人とも濃いエピソードをお聞かせ下さりありがとうございます(笑)
続いての質問ですが、お二人は監督として「これはどうしたらいいんだ?」と悩まれる時はありますか?更にそういった時はどのように解決されるのですか?
入野:監督の悩みはいつでもどこでもそうだと思うんですけど、誰をメンバーに入れるのか、という選手選考だと思います。僕たち監督にずっと付き纏う、決断しなくてはいけないことの一番大きい問題というか、監督にとって一番辛い決断はとにかく選手のエントリーですかね。
原田:それが一番きついですよね。
入野:少し質問から外れてしまうかもしれないですけど、僕自身も選手たちに頑張りを求めるし、選手が頑張っている姿を見ているからこそ、選手が評価される、報われる部分は試合に出場することだと思うんです。その次にチームをサポートすることだったり、そのサポートや思いやりを試合に出場している子たちも分かり合うことが高校バスケの醍醐味でもある。バスケットを通して社会の縮図を学ぶ。そういったことを教えるのが指導者の役割だと思うんですけれども、やっぱりきついですね。いつになってもきつい。
―苦しい決断をしなくてはいけないんですね。
入野:頑張っていれば頑張っているほど余計に悩みます…
原田:僕は今回インターハイで外れた3年生3人が凄く良くなったので入れたんですよ。3年生だから入れたんじゃなくて、選手が成長したから入れたんです。僕も選手選考が一番気を遣いますね。でも、僕は生徒たちに「選手選考はまずは力があるやつ、チームに貢献できるやつ、頑張るやつ」を選ぶってはっきり言っているんです。それはずっと崩さないでいるつもりです。でもそう言っている分、生徒たちを見なくちゃいけないんですよ。“頑張る”とか“貢献できる”っていう要素は、普段の生活とか練習を見て分かる部分なので。貢献できる子というのは、どこにいても常に周囲に気を配って動いてくれます。そういう選手がベンチにいることがチームの戦力アップにもなる。だからそういった要素も含めて選手選考をしなくてはいけないので、普段から選手たちを“見る”っていうことは凄く大事だなと思います。
―一番気を遣うだけに、常日頃から選手のことを見ていらっしゃるんですね。ありがとうございます。では逆に「監督をやっていて良かった」などと醍醐味を感じる瞬間はどんな時ですか?
入野:教え子が帰ってきた時ですね。これが一番ですね。
―即答ですね。
入野:それが一番嬉しいですね。OBの子たちがいくつになっても、バスケ部で学んだことを忘れずに頑張ってくれている。あと高校生の時に比べると生徒とフランクな関係になったりするじゃないですか。けれども、ちゃんと人間関係のところで筋を通す。挨拶とか礼儀をきちんとしているところを見ると本当にやりがいを感じます。
―OBの方々はよく遊びにこられたりするんですか?
入野:そうですね。東京に入ってくる前の土日もOBに来てもらって、ウインターカップに向けて練習を手伝ってもらいました。あと毎年文化祭の時にOBに集まってもらってOB戦を開催しています。散々高校時代に手をかけておいて、軽く「こんちわっス」とか言われると「おいおい!」とか思う時ありますけどね(笑)でもバスケだけじゃなくて、社会人として第一線で働いている姿を見ると「ああ、やりがいがあるな~」と思います。僕はそこに指導者としての喜びを感じますね。
―原田先生は如何ですか?
原田:僕も同じです。(キメ顔で)
―・・・(笑)
入野:ずるくないですか!?裕作、さっきから俺の答えに乗っかってるから!次は裕作から答えてもらいましょう(笑)
原田:いや、本当にそう思っていますから!あと就職先から「バスケ部出身の子が凄く頑張ってくれるから」という理由で「バスケット部でうちの会社に入りたい子いませんか?」ってバスケ部の生徒を指定して頂けることがあるんですけど、凄く嬉しいですね。大学への進学となると色々な繋がりがあって話が変わりますけど、就職先はそういうことは関係ないので。企業の方がそう言って下さるのは、卒業生が就職先で頑張ってくれているお陰だと思います。
入野:それは凄いね。今の時代だからこそ、そういう話があるのは凄い。
原田:そうやってわざわざ会社から「バスケット部でお願い」って言って下さる。これは本当に嬉しいですね。
入野:自分は過酷な生活をしてきたから、子どもたちにはそういう生活をさせたくないんでしょ。
原田:そうです!基本的に僕は自分が後悔したことは絶対子どもたちにさせたくないって思っているんですよ。だから「俺は結構色々なことを後悔してきてる。だけど後悔ほど醜いものはないぞ」って子どもたちには言います。
入野:おお~、格好良いね。
原田:だから後悔してきたからこそ、俺と同じ思いはしてほしくないと本当に思います。
―しかし、企業側から直接バスケ部を指定して下さるなんて素晴らしいことですよね。部を心から信用していないと言えないですよね。
入野:言えないですね。
原田:本当に嬉しいことです。
後編に続く

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