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駿台学園中学校 男子バレーボール部
海川 博文監督 インタビュー

52回目のトップ指導者&選手特集では、公立校を含めて前人未到となる7度の全国優勝を果たした駿台学園中学校バレーボール部・海川博文監督にインタビューを行ないました。
海川監督が指導者を志したきっかけや、指導において大切にしている考え方や子ども達との接し方など、長時間にわたり様々なお話を伺いました。

取材日2018年1月29日

―本日はインタビューをお受け下さいましてありがとうございます。
まずは海川先生が指導者になろうと思われたきっかけを教えて頂きたいのですが、先生自身はバレーボールをされていらっしゃったんでしょうか?
実は私は小学校の頃は野球をやっていました。けれど進学した中学校に野球部が無かったので、どうしようかなと迷っていた時に、たまたま前・中体連部長の平手陽先生が進学先の中学校でバレーボールの顧問をされていて、私は野球をやっていたので肩も強かったですし「バレーボールをやってみないか?」と誘われて、中学からバレーボールを始めました。平手陽先生は本当に情熱と愛情にあふれた先生で、この先生に出会えて良かったと子どもながらに感じたことがこの道に進んだきっかけだったと思います。
―野球部が無かったからバレーボールを、ということだったんですね。
そうです。中学からバレーボールを始めました。中学生の私は、どこにでもいるような子どもだったんですが、バレーボールを通じて物事に対する姿勢も行動も段々自分が変わっていく経験をして、目標に向かって一生懸命努力することは、本当に意義があるものだなということを感じました。それがきっかけで高校一年生の時には教員になって、多くの子ども達に良い影響力を与えてあげたいと思うようになっていました。
バレーボールの監督になろうというよりかは、教師になって子ども達に一生懸命取り組むことの素晴らしさとか、全力投球するとこんなに良いことがあるということを伝えたいなと思っていました。そして苦しいことを乗り越えた人にしか分からない本当の喜びや、仲間との触れ合い、忘れられない感動などの多くのご褒美があることを、自分自身の経験を活かして、教えられる教師になりたいという気持ちが年月とともに益々大きくなっていきました。
また私が通っていた中学校の近くには多くのライバル校があり、その中の一つの学校に高橋治憲さん(現・東京都バレーボール協会理事長)が指導されていた学校がありました。そちらの学校とは、よく練習試合をやらせていただき、子どもながらきびきびとした動きや笑顔、歓喜の声に感動しました。
その後教師になって、私は平手先生と高橋先生の2つを合わせたチームを作ってみたいなあと中学を卒業する頃には考えるようになっていました。しかし、どうしても「バレーボールの監督を絶対にやりたい!」とか、そういう意識はなかったです。たまたま中学、高校と自分がバレーボールを6年間やっていた経験があったので、教師になって赴任した中学で、これも偶然にたまたま顧問になりましたけど、別に他の競技の顧問になっていてもきっと、同じようにのめり込んでいたんじゃないかなと思います。
いずれにしても、教師になって子ども達に“一生懸命努力することが一番大切なんだ”ということを教えたかった。そのために教師になり、偶然そこにバレーボールがあって、そのバレーボールを通してなんとか伝えようと必死にもがいているうちに30年以上が経ってしまったという感じでしょうか。
―ちなみにバレーボールに限らずですが、高校や大学で指導するという選択もあったかと思います。どうして中学校を選ばれたのでしょうか?
それは、中学校という年代は、大きく子ども達が一番変化する多感な時期だからです。高校や大学の指導者となると、バレーボール競技、技術そのものを教えることが中心になると思うのですが、私の中にはまず、バレーボールを指導する前に人間教育という考え方があって、良い生徒でなくてはいけないし、先ほども言ったように“一生懸命努力することは素晴らしいことである”ということを教えたかったので、中学校の教師を選択しました。多感でこちらの指導で大きく変化する中学生指導に、一番魅力を感じていたし、自分も中学生の時の良き指導者に出会えたからこそ、今の自分があると思えたからです。また能力が高いメンバーでなくても、ある程度は努力が実るのが中学校時代だと思います。何も出来なかった子ども達が3年間で大きく成長し、最後は自分達で考え、叱咤激励し合いながら試合に臨む姿はまさに中学校指導者としては、感無量の喜びです。
そういった成功体験に何としても近づけるためにも、またそれが叶わなくても、ある程度の満足感を得るためにも、一生懸命な練習は絶対必要です。本当に苦労したけど頑張って良かったと思って卒業してもらうところに、次の挑戦があり、更に高い壁にも這い上がろうとする力に繋がると思うのです。私はバレーボールを通じてそういった力をつけてあげたいと思っています。
どうしても中学校になると小学校時代に一生懸命やっていた子が、急に全力でやらなくなったり、格好つけていい加減になって基本が崩れて、せっかくの能力を台無しにする中学生も沢山います。だからこその基礎基本であり、全力投球なんです。駿台の練習を見ていただいての通り、駿台学園中ではそういったことを絶対に許さない。練習でも常に「全力投球で、一生懸命やることが素晴らしいんだ」、というモットーで指導しているので。その一つ一つの積み重ねをきちんとしているからこそ、今の結果に繋がっているという部分もあるかと思います。ともすると自主自立とは、ただ自由勝手に自分が楽しくプレイすることと勘違いしている生徒は絶対に伸びません。中学時代は正しい自主自立とはどういうものなのかを教えるところだと私は思うのです。またそれを教えるのが私達中学校指導者の役割と感じています。
―多感な時期で繊細な部分もありますよね。それで最初から、中学生を指導することを意識されていたんですね。
そうですね。私は中学校時代に私を指導していただいた中学校の先生方のおかげで、今があると思っているからこそ、私もそういう中学校の教師になりたいと思って、この世界に入ったので、中学校の教師というのは大前提にありましたね。
―小松川第三中学校では公立校として全中優勝を果たされましたね。小松川第三中学校でのエピソードがあればお聞きしたいのですが、
一番苦労したのは選手を集めることですね。そもそも選手がいなければ、バレーボールが出来ないので教えることも出来ない。だから選手にはまず“バレーボールは楽しい”“一生懸命やると、こんなに良いことがあるよ”ということを伝えて、選手集めをするところからスタートしました。そして、そうやって集まった子ども達はほとんどが素人ばかりなので、とにかく基礎基本を大事に指導しました。初めて全国大会に出場した時も、全員が中学校からバレーを始めた子ども達だったんです。それでも、基礎基本をきちんと積み重ねていけば、バレーボール経験の無い子ども達でも関東大会で準優勝し、全国大会ではベスト16まで勝ち進むことが出来ました。その時の大きな感動体験は私と生徒も忘れられない思い出です。一生懸命努力すれば、経験の無い生徒達でも結果はいつかついてくるという自信にもなりましたし、こんな夢を持てるバレーボールというスポーツを更に好きになって、のめりこんでいくきっかけになったと思います。あの時の体験や感動があったので、更に真面目に一生懸命やることや、基礎基本を大切にするスタイルを駿台では大切にしています。
その後は次第に近隣の小学校からバレー経験のある子ども達が徐々に入るようになって、全国優勝した時は、3人経験者がいたと思います。半数以上は中学校から始めた子だったのですが、身長が大きい子が集まったので優勝することが出来ました。
―バレー経験の無い子ども達を指導されたことにより、海川先生の基礎を大切にする指導スタイルが確立されたんですね。
そうですね。その時に基礎基本の大切さを身に染みて感じました。特に中学生は基礎基本が乱れる時期です。格好をつけたり、適当にプレイをやってしまう時期。だからこそあえて基礎基本を徹底することで、生徒はグングン伸びていきます。やはりこちら側も中学生の時期はどこまでも引き上げていこうとする情熱が必要だと思うのです。私は以前、日産のカルロス・ゴーン氏の本を読んでいた時に、自分の子どもをどういう学校に預けるかという質問がありまして、ゴーン氏は“最大限に自分の子どもを伸ばそうとしてくれる学校に預ける”と仰っていたんです。その本を読んで、特に中学校の指導者は、引っ張り上げる情熱と姿勢が大切だと感じました。また生徒達の保護者の多くは、そういった期待をしている方も多く、学校側としても、預かった子ども達を最大限に伸ばしてあげようとする姿勢が大事だなと感じました。ですから駿台では生徒の可能性を最大限に伸ばすように、妥協せずに指導しています。そしてそれをベースに高校では、自主自立の出来た選手に成長し、大きな花を咲かせてほしいと願っています。
―駿台学園に赴任されてから、創部2年目(平成16年)にして全国大会へチームを導かれました。しかも初出場にしていきなり準優勝という素晴らしい成績を残された大会でしたが、当時を振り返ってみて如何でしょうか?
本当にたまたまだったんですよ。しいて言うならば今、駿台学園中女子バレー部で指導している柳監督が私の赴任前に基礎基本を教えてくれていたことも大きかったと思います。しかし異動して2年目に結果が出たのは、私としても嬉しいことでした。それまでの公立校では経験の無い子どもが半分以上だったので、バレーボールを教えるにしても本当に一から教えていた。そういう今までの苦労がここにきて、ようやく活かすことが出来た。それが2年目で全国大会出場、更には準優勝という結果に繋がったと思います。
―また、駿台学園として初めて全国優勝に輝いた平成20年度の大会はどのような思い出がありますか?
駿台として初めて優勝出来た時は、今思い出しても涙が出るくらい本当に嬉しかった。もちろん2回目3回目と、毎回優勝する瞬間は同じように嬉しいんですけれど、あの時は公立校から私立校へと全く違う環境に変わりましたので、苦しいことも辛いことも沢山ありました。私自身もこうなったら、どうしても優勝するしかないという一つの信念を持ってやっていたので、それがようやく実を結んで、本当に感無量の喜びでした。
駿台に赴任してからの5年間はかなり苦労もしましたが、逆に言うと、どうしたら日本一になれるかということで、かなり勉強もさせてもらいました。公立校にいた時は、ただただ真面目に一生懸命バレーボールをやっていたら、タイミングが巡ってきて偶然階段を昇れた部分もありますが、ここでは優勝を狙って取りに行っていますので。そういう意味では苦しみも想いも、背負うものも以前とは比べ物にならないくらい大きかったです。
ですから私自身も公立中学校にいる時よりも多くの勉強と努力をしました。また校長先生をはじめ多くの学校関係者の協力や多くの小学校バレーボールチームのバックアップをいただいたので、5年という時間で優勝出来たと思います。本当に支えていただいた多くの関係者に感謝したいです。
―更に、平成29年度の全国大会では駿台学園として(海川先生自身は7回目)6回目の全国優勝を果たされました。一回戦から埼玉の強豪富士見東中学と対戦し勝利されましたが、キャプテン寺内選手の腰痛も抱え、その後も強豪校との厳しい組み合わせが続きました。チームの状況は如何でしたか?
今年のチームは私が今まで見てきた中で、正直秋までは一番力がありませんでした。攻撃力が乏しく、セッターの技術も守備力もかなり厳しい状況でした。新人戦も勝つには勝ちましたが、本当にギリギリな状態での勝利でした。それこそ、全中の一回戦で対戦した富士見東中学には一回も練習試合で勝てていないと思います。他県の強豪チームと対戦しても、どこにも勝てなくて思い悩んだ結果、まずは冬の間は基礎力を徹底するしかないと感じて、日々のパス練習からコツコツと練習に取り組みました。
本当に地味な練習を生徒もよく頑張ってくれて、冬の間にある程度の基礎を徹底することが出来ました。またしっかりした身体を作ろうということで、身体づくりにも取り組みました。最終的にはこのチームをどうしたら勝たせられるのかと考えて、とにかく役割分担をはっきりするようにしたんです。サーブレシーブは、レセプションを中心にする選手を3人徹底的に鍛え上げて、セッターは菅原中心にあらゆる練習、トレーニングをしました。そしてスパイカーに関してはエースという柱を確実に作らなければいけないので、新人戦が終わってから、2年生の渡邊をエースに沿えるしかないと思い、彼を徹底的に鍛えました。
今年のチームは色んなことを出来る選手がいなかったので、鍛練期には基礎基本を鍛え上げて身体づくりを徹底し、4月以降は、まずはそれぞれの選手の大目標を決めて、それを更に2週間ごとの小目標に細分化して、それに向かって努力をさせました。はっきり言って迷いなくどんなことをしても、間に合わせるという強い決意と信念で5月以降は命がけでした。キャプテン寺内も、レフト山之内も6月くらいから急激に成長し、最終的にはいけるかなと思っていた矢先に、寺内が腰に大きな怪我をしてしまったり、もう一人のセッターの矢野も運動会で大きな怪我をして、一時はどうなることかと思いましたが、生徒一人一人の、“一つにまとまろう”という気持ちがそのあたりから大きくなってきて練習にも強い心意気を感じられるようになりました。
寺内も一か月ほど休ませて、関東大会の直前から復帰することが出来、全国大会ではだいぶ痛みも取れ、本来の7割~8割の力ではありましたが、一生懸命チームのために働いてくれました。そしてまとまったチーム力は私も信じられないようなパフォーマンスを全国大会で発揮してくれて、すべての試合を後半で逆転するという試合展開で優勝までたどり着きました。生徒にとっては苦労した3年間だったけれど、人間として成長出来た3年間でもあったと思います。
―決勝戦では駿台のサーブとブロックが光っていましたね。試合冒頭やここぞとばかりに寺内選手を筆頭に駿台学園の素晴らしいサービスエースが決まっていました。
基本的に私のバレーボールは、初めて全中優勝した時からずっとサーブアンドブロックがチームカラーなんです。特に昨年のチームは守備力もなく、ラリーに持ち込まれると非常に厳しい状況でしたので、当初から「今年はこれ(サーブアンドブロック)を徹底する」ということで取り組んでいました。けれどいきなり上手くなったわけではなくて、日々の地味なブロック練習で少しずつ力をつけていきました。そして全国大会の直前に、もう一度徹底的にサーブの練習をやりました。最終的にはようやく私のチームになったなと思います。サーブとブロックとオープン、この3つが私の柱なので。
実は一昨年のチーム(現・高校1年生)はコンビバレーのチームを作ったんです。その時は両エースが170㎝ぐらいだったので、完全にコンビバレーにしました。それでもその年の全中の決勝もあと一息だったんですけど、残念ながら負けて準優勝に終わりました。だから今年は私の元々のスタイルに戻ったような形ですね。サーブで攻められれば、相手も自由に攻撃出来なくなるので、こちらとしてもやりやすい。ブロックで確実にワンタッチが取れれば、レシーブもやりやすくなり、切り返しの攻撃がやりやすくなる。相手からくるボールをこちら側で処理しない、せめぎ合いの境界線のところで常に勝負をする、というのが私の元々のスタイルなので、その部分については他の学校よりも練習したと思います。
―3セット目はブロックが多く決まりましたが、それはやはりサーブで攻めていたからこそのプレイだったんですね。
そうですね、やはりサーブとブロックが機能しなければサレジオさんには勝てなかったと思いますし、しっかりワンタッチを取れたからこそ切り返しで勝負することが出来た。あのワンタッチが終盤取れていなかったら多分ゲームをひっくり返すことは出来なかったと思います。あと、何よりもサーブレシーブが崩れなかったことですね。相手のサーブに対して我慢が出来ていたことも大きかったと思います。
また、ブロックもディフェンスの一つと考えればディフェンスの勝負だったと思うんです。キャッチもブロックもじっと我慢して最後まで崩れず、徐々に駿台のペースになっていった。向こうは途中で崩れていってしまったかなと。
実は、私自身も今まで優勝した七回の中で一番落ち着いていたんです。それは多分、自分達に力が無かったからです。こちら側に力があったらドキドキしたり不安だったりするだろうけど「普通にやったら絶対勝てないだろうな」と思っていて「それじゃあどう戦えば勝てるんだろう」とずっと考えていたことが、冷静でいられた理由だと思います。
―そうなんですか?私なんかは「勝てる!」と思うからこそ落ち着いていられる、と思ってしまうのですが…
「勝てる!」と思うと結構落ち着いていられないですね(笑)
―2年生の渡邊選手は今大会、素晴らしい活躍でしたね。来年は彼がチームの主力になるんでしょうか?
そうですね、来年は彼にやってもらうしかない。逆に言うと今年は二本柱だったんですが、来年は本当に彼一本なので。彼が三人分くらい活躍してくれないと、どうなるか分からないようなチームですね。皆を引っ張っていってくれる男気のあるエースに育ってくれない限り優勝はないと思います。
エースは高さや技術だけでは務まりません。最後はみんなの思いを背負えるだけのハートを持っているかどうかがポイントになりますね。私はよくエースには「人の荷物を背負って、ニコニコ顔で坂道を登れる人になりなさい」と指導しています。エースは一番人間力が必要なんです。期待したいと思います。
―改めて今大会は海川先生にとってどのような大会でしたか?
中学校バレーというのは改めて夢がある競技だなと思わせてくれた大会でした。私が見た中では最初のスタートの時点では、駿台で一番弱かったのは間違いない。だからこそ、コツコツ努力して一生懸命頑張れば、歴代で一番力の無かった生徒達でも全中で優勝することが出来ると証明してくれた選手達です。ある意味教えた中で一番伸びた選手達です。そういう意味でも“頑張れば夢が叶う”ことが中学校バレーの一つの楽しみだなと改めて実感出来た大会でした。
―海川先生の指導のモットーに「全員がセッターになれる」「オールラウンダーを目指す」とありますが、この指導モットーはどのような背景から生まれたのでしょうか?具体的にお聞かせ頂けますか?
元々、私が小松川第三中学校にいた頃に柳鶴先生という指導者がいらっしゃいました。私はその柳鶴先生の指導に影響を受けて学ぶことが多かったんですけど、先生が「とにかくバレーボールはサーブとセッター。この二つを磨き上げなければ安定したチームは出来ない」と言われていたんです。6人制バレーだと、固定制ではないのでローテーションで回りますし、必ず全員がトスを上げる場面がくる。そういうことを考えると6人全員にトス力、パス力をつけることは即試合の勝ち負けに影響するんですね。特にセッターの力は大きいので、セッターには、よりそういう力をつけさせる。またセッター以外の子にも必ずトスを上げる場面がくるので、その時にドリブルしてしまうのか、スパイカーが打てるところにトスが上がるのか、ということがゲーム展開的には大きな問題になります。そういう理由から、必ず全員にトスが上がる力がつくように指導しています。
また、子ども達にとっては高校に上がって背が伸びなくてもセッターが出来ることが非常に楽しかったみたいなんです。公立校にいた頃卒業生から「先生、卒業して今セッターをやっています」と言われたことがありました。セッターが出来れば高校、大学、どこに行っても、いつまででもバレーボールが出来る、楽しむことが出来る。背が伸びなくてもそれを活かすことが出来ます。その二つの点から、オールラウンダーを育てることが、子ども達の将来を広げる手助けになるのではないかなと思っています。また、大きな目線で見ると日本の6人制バレーを強くするということにも繋がってくると思います。
柳田将洋選手の弟である柳田貴洋も駿台でセッター練習をさせていたので、中央大学でも最初セッターをしてました。それからパナソニックの関田誠大は小学校の頃はエースだったんですけど、駿台からセッターになり、チームを初の日本一に導いてくれました。
―海川先生の指導モットーには、6人制バレーの特徴や、選手がいつまでもバレーボールが楽しめるように、という考えが根底にあったんですね。続いての質問ですが、先生は部活指導をするにあたり「これはどうしたらいいんだ?」と悩まれる時はありますか?
うーん、あまりなかったかな。もちろん、技術的なことで分からないことは時々ありましたけど、それは先輩の指導者に方に聞いて勉強するようにしていました。あと書物はかなり読みましたし、本に書かれていることを実践してみたりもしました。
私自身は対人関係とか、子ども達を惹きつけるという部分は得意でもありましたので、そういったことでは悩まなかったですね。元々私は子ども達と接することが何よりも好きだったんです。公立校に赴任していた時も、練習は一生懸命やるけど夏休みは皆をキャンプに連れて行ったりしました。バレー部の子だけではなくクラスの子や色んな子ども達を連れて遊びに行きましたよ。もちろんバレー部の方では厳しい指導もしましたけれど、その分いっぱい愛してあげるというのが私の考えている生徒への接し方ですね。とにかくどの生徒にも具体的な課題を与えて、夢を持たせることだと思います。
―最近では“子ども達が変わってきた”と言われることもありますけれど、そういったことに対してはどのようにお考えでしょうか?
もちろん変わってきたとは思います。けれど「変わってきたから無理」とたった一言で言ったところで、結局何も変わらないし前に進まない。逆に言うと昔に比べて情熱的な指導者がいなくなったと感じます。情熱があれば、変わってきた子ども達にも対応することが出来ると思うんです。だから指導者が今まで以上に熱意と情熱と、出会えたことに謙虚な気持ちを持って取り組むことが大切だと思います。指導者一人一人の状況は異なりますから一概には言えませんが、情熱のある人であればどんな状況であっても「じゃあどうしたら良いか」ということを自分なりに工夫すると思うんです。場所が無ければ出来るところで工夫した練習をすれば良いし、能力がなければ、それなりの戦い方があるでしょうし、一生懸命頑張らない生徒をただ嘆くだけでは、そこまでです。大切なのはそこでどうするかだと思うんです。生徒達をどうのこうの、というよりも私はやはり教える側の問題だと思いますね。子ども達はどの子も純粋で素直ですよ。指導者こそ信念と粘りと根性が必要なんです。
私のモットーは「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス」です。指導者がここまでとあきらめたら、そこで終わりです。
―海川先生は監督である前に教師でありたいと仰っていますが、海川先生にとっての教師とはどのような存在でしょうか?
子どもに夢を持たせてあげる存在が教師のあるべき姿だと思います。こんな自分でも一生懸命やればこういう風に変われるんだって、こんな大人になりたい、こんな仕事に就きたい、こんなプレイヤーになりたいと、どこかで夢を持たせてあげられることが教師の仕事だと思います。そしてそれをアシストして、少しずつ夢が現実になるんだということを伝えていきたいと思います。実際には、現実にはならないのかもしれない。でもそれを、頑張れば叶うからと言い続けることが、我々の仕事のような気がするんです。
いずれその子ども達が大きくなれば、本当の現実とぶつかり合い、厳しいなと思うこともあるかもしれない。けれど、中学生のうちから、そういう風には教えたくはない。まず夢を持って、夢は努力すれば叶うんだということを私は子ども達に教えたいですね。
それは部活動だけではなくて学校の行事でも同じです。合唱コンクールでも、皆で練習して最初バラバラだった曲が一つになって、それで優勝して感動する。負けて涙する。運動会でも移動教室とかでも同じですね。そしてその小さな夢がたとえ叶わなくても、悔し涙を流したり、みんなで励ましあったりする仲間が出来た時に、次こそ頑張ろうとする心が生まれる。そこが大切なんです。駿台の勝利のための60か条の中で一番大切にしている言葉に、「一生懸命努力するからこそ感動があり、感激があり、悔しさをバネに出来る」という言葉があります。実は一生懸命努力することは、例え夢が叶わなくても、その過程にこそ意味があるんだということを教えることに繋がると思うのです。全力投球するからこそ、感動があり、感激があり、次への壁を乗り越える力になると私は信じて指導しています。
駿台中学校では、私はずっとスキー教室を担当しているんですけど、最終日はキャンドルサービスをやってゲレンデいっぱいに火文字で「駿台」って文字を作るんですよ。最初は面倒くさいと文句を言っていたゲレンデ上でのプレゼン係の悪ガキ達も、最後は自分のしたことに感動して涙する。下でそれを見ていた生徒達も大きな声で歌を唄ってそれにこたえる。最後は「先生、俺この仕事やって良かったよ」と満足げに話してくれる。そういった体験を通して、何かしら思い描いたことが現実になるんだと感じることが出来れば、また次の努力を惜しまない生徒に育つ。その良い循環が行事でも、スポーツでも芸術でも学習でも同じだと思うんです。
そのためにはある意味仮想でも良いのですが、「俺、苦労したな」と子どもに少し苦労をさせる。そしてその苦労を乗り越えられたときに褒めてあげる。乗り越えた先にはこんな良いことがあったんだと小さな成功体験をさせてあげる。その小さな積み重ねが、次の大きな夢とか目標へのチャレンジに繋がるし、努力する生徒を育てることに繋がると思うのです。
そして最後はたくましい生徒に育ち、更に大きな夢への挑戦に繋がります。それをアシストするのが我々教師の仕事なんじゃないのかな、と思っています。それは普段の練習も一緒で、少しずつ成功体験をさせてあげることによってやる気が湧いてくるんですよ。だた怒るだけの指導や放置しているだけの指導では、技術はある程度伸びても心が成長しない。心を成長させて、自ら考え努力する生徒に育てなければ最後は伸び悩むと思うのです。
―ありがとうございます。では最後の質問になりますが、来年度も既に始動されていると思いますが、どのようなチームになりそうですか?
また、連覇がかかっていますが、意気込みを聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?
うーん、来年度のチームは守備力がもう一つ。今年に比べると、身長的には昨年より大型なんですけど練習に対するひたむきさや真面目さ、人間力が足りない。このままでは間違いなく途中で負けるでしょうね。この間も招待試合で負けたんですけど、互いに目も合わせないし、叱咤激励もアイデアも出し合えない。まだまだそんな状態です。これから生徒達が人間力がついて、取り組む姿勢が変わってくるかが大きなポイントですね。それ以外ありません。技術的には5月までの間にブロック力を含めたトータルディフェンスとセッター作りに力を注ぎたいと思っています。
―ありがとうございます。春夏の都大会、関東大会、全中と楽しみです。頑張って下さい。
ありがとうございます。今年も子ども達と一生懸命にコツコツ頑張ります。

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