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近藤 義行氏 インタビュー

この春に、船橋市立船橋高校を離れ新たなスタートを切られた近藤義行氏。トップ指導者&選手特集では、第57回から第60回にかけて近藤氏の超ロングインタビューをお届けします。
27年間もの間、高校バスケットボール界をけん引し続けてきた名将に、今だからこそ話せるエピソードや今後の夢、目標などを語っていただきました。
最終回となる60回では、市立船橋高校が繰り広げてきた数々の名勝負や、思い出深い試合について語っていただきました。

取材日2018年4月10日

―ここからは、近藤先生に市立船橋高校での試合を振り返っていただきたいのですが、一番印象に残っている試合はどの試合でしょうか?
これに関しては、一番を言えと言われても答えられないです(苦笑)思い出深い試合は何試合もあります。私が市船で指導するようになってからの1、2年目はただ監督としてそこにいるだけで、選手たちに何もしてあげられなかったのですが、市船で指導する上で私は一つの目標を立てたのです。それは“私が赴任した時の2年生と3年生を千葉県大会で絶対に負けさせない、そして全国で活躍させる!”という目標でした。
私の赴任と同時に入学してきた1年生は、高校での3年間を全て私が指導することが出来ますが、この時の2年生と3年生たちはそうはいきません。私としては彼等をどうしても千葉県大会で負けさせてはいけないと思ったのです。しかし2年目最後のウインターカップ予選で、市立柏高校に負けてしまいました…。他の大会は全て勝てていたのに、最後の最後で勝たせられず、彼らをウインターカップに出場させてあげられなかった。
私は市船に来て最初に立てた目標を達成することが出来なかったのです。その試合には悔しい思い出がありますね。だけど当時の卒業生で昨シーズンまで、山形でプレイしていた藤岡昂希(現・八王子ビートレインズ所属)という選手がいましたが、市船を離れることになった時にメールをくれました。長文で、感謝の気持ちが籠められたメールでした。藤岡はこのメールの中に「あの時負けたことによって今の自分があるんです」「高校の時に近藤先生が『皆に愛される選手にならなくてはいけない』と言ってくれたことが今の僕を作っているんです」と言ってくれました。藤岡は、山形という土地で周囲の人から愛される選手になっていたのです。あの時は試合に勝たせてはあげられませんでしたが、今、そのように言ってもらえてとても嬉しかったですね。
―素晴らしいエピソードですね。
ありがとうございます。それと、今年大学を卒業した(2017年度)東海大学の山本健太、専修大学の高澤淳、拓殖大学の阿部諒(現・島根スサノオマジック)が主力だった年もウインターカップ予選で日体大柏高校に負けてしまいました。あの時の試合も記憶に残っていますね。実はその年からウインターカップ予選を千葉テレビで放映するようになって、市船が負ける姿がテレビで映し出されてしまったのです。彼らはその年のインターハイで悔しい思いをしていたので、その時の悔しさを晴らすためにも「ウインターカップでは絶対にやってやるぞ!」という気持ちで臨んだウインターカップ予選だったので、余計に忘れられないですね。
また、私が市船に来て3年目の年に平良彰吾(現・拓殖大学3年生)のお兄さんがいたのですが、その代はウインターカップで4位に入賞することが出来ました。この大会の3位決定戦も忘れられない。京北高校(現・東洋大学京北高等学校)との試合だったのですが、第3クォーターで16点リードしていた状況から最後の最後に大逆転負けをくらって、4位で大会を終えることになったのです。
私の学生時代の話に戻りますが、私の1学年上は能代工業に負けて銀メダル、1学年下のチームも強くて全国大会で銅メダルを取りました。その更に下の代には今、日本体育大学男子バスケットボール部の監督をしている藤田氏がいた代で、ここも3位で銅メダルを取っています。
僕の代は福岡大濠に負けてベスト8で終わったので、実は僕たちの代だけがメダルを取れていないのです。(笑)しかし、この時の仲間たちが市船の監督になってからの私をずっと応援し続けてくれたのです。いつも皆で集まる機会をセッティングしてくれて、その都度「近藤先輩の代だけメダルがないから、近藤先輩が教えている選手たちには絶対にメダルを取らせてね!」と応援してくれました。そうやって仲間の支えもあり、私も頑張ろう!と思えたのです。
そして3年目に出場したウインターカップで、初めて3位決定戦までいけましたけれど、あの試合で逆転負けを喫して、メダルを取らせてあげられなかった。その時の悔しさもあったからこそ、もう一度チャンスが巡ってきた2014年のウインターカップでは、何が何でも彼らにメダルを取らせてあげたいと強く思いました。あそこには色んな人の魂が宿っていましたね。例え、途中で20点離されようとも「絶対にひっくり返してやる!」という強い気持ちで全員が戦っていました。
―2014年の3位決定戦は私も見させていただきました。歴史に残る名勝負でしたね。
ありがとうございます。あの試合の映像で、シュートが入る前に私がガッツポーズをしているシーンがTwitterに上がっているのですが、あれを私の家族は好きだと言ってくれるんですよ(笑)
私は、監督が選手たちにしてあげられるのはシュートを入れさせることではなく、その過程を作ることだと思っています。シュートまでのシチュエーションを考えるわけです。例えば対戦相手に身長の高い留学生がいるからという理由で、インサイドにボールを入れないのではなくて「ペネトレイトして、ディフェンスを中に集めて、そこで外に吐き出してシュートを打とうぜ!」という作戦を考えることだと思うのです。それを彼らがビシッとやってくれて「よし!そのプレイをしていればいいんだ!」という気持ちを籠めたガッツポーズがTwitterに載っていたんです。結果的にシュートも上手く決まったので、更にもう一回、天を仰いでガッツポーズをしたワンシーンでした。
―私もそのtweetを見たことがあります。とても鮮やかなオフェンスでしたね。
また、忘れられない試合はもう一つあります。それは私が市船に赴任してから1年目で迎えた埼玉インターハイでの試合です。千葉ジェッツふなばしに入って、今は教員をやっている星野拓海という選手が3年生でキャプテンをしていた代だったのですけれど、一回戦で、岸本隆一君(現・琉球ゴールデンキングス所属)がいた北中城高校と対戦しました。その試合、なんと一回戦なのにトリプルオーバータイムまで勝負がもつれたのです(笑)結局試合は122-121で市船が負けるのですが、高校バスケットで121点も取って試合に負けたチームが、市船以外であるかどうか…。あのゲームも僕は忘れられないですね。半ばうつ病に悩まされながらの1年目のインターハイだったのですけれど、いきなりトリプルオーバータイムになるとは考えもしなかったです。120点も取ったのに負けたのですよ。ここは NBAかと思いました(笑)
―トリプルオーバータイムは驚きですね。点数も両チームともに100点オーバーなんて、本当にNBAみたいです(笑)
さて、本日は名勝負に隠された思い出や、市立柏高校~市立船橋高校でのエピソードをご紹介いただきまして、ありがとうございました。最後の質問になりますが、全国の指導者の皆さんに向けて、メッセージをいただけますか?
最初にも言いましたけれど、私は公立高校の教員としてのバスケットボール指導者でしたので、プロの指導者ではありません。学校の教育活動の一環として部活動を指導していましたので、基となる部分を私たちも忘れないようにすることが大切だと考えています。選手に「授業はしっかり受けるんだ!」とか「学校生活をきちんとしよう!」と言うのだから、こちらも教員としての授業づくりとか、ホームルーム経営、学年主任の仕事にしっかりと向き合わなければいけない。両立させることは本当に大変です。だけど自分自身が本来の仕事にきちんと向き合うことで、監督業を見て学ぶこと以上に、大きなヒントを得ることが出来るのです。
先日、ふと耳に入ったのですが「小さなことほど丁寧に、当たり前なことほど真剣に!」と仰っている方がいました。毎日当たり前になっている仕事や、手を抜きがちなところ、自分の行動に対して「手を抜かずに一生懸命取り組もう」という意味が込められた言葉だと思います。そういう何気ない生活の中にヒントは落ちている。そこから僕ら指導者は学ぶことが大切ですし、得られた情報や言葉を翌日のホームルームで生徒に話すのもありですよね。僕の得意技の中に「あたかも自分が考えたかのように喋る」技術があるのですが、昨日読んだ本の内容を次の日に、あたかも僕が考えたかのように喋るのです(笑)
そうやって日々の生活を通して自分自身が学ぶことが、結果的にチーム作りに影響することも多くあると思います。
そして私は今までに教わったことや、いいなと感じた言葉を「携帯のメモの中」というタイトルをつけて、メモ機能の中に保存しているのです。
例えば、指導において心がけていることで「叱る→教える→成功させる→褒める」のバランスがあります。このバランスを取ることが大切なのですが、このメモにはやんちゃな選手を指導したことで「たまには乗せる」が新たに加わりました(笑)彼等はたまに乗せると凄く高いところまで伸びていく選手だったのです。
そして、鍛える順番は心×知識(知恵)×身体×技術の順番で鍛えるのですが、全部が10点満点だとしたら、これは足し算ではなく掛け算になっているということを意味するメモです。
心が腐ったままではマイナスからのスタートなので「マイナスに何を掛けても答えはマイナスになってしまうんだ」という意味が込められています。
このように私が今まで教わってきたことや、SNSなどで見てこの言葉はいいなと思った瞬間にメモを残しています。だいぶ溜まっているので全て話すと時間が掛かりすぎてしまうので(笑)若い指導者の方にはこれをそのままラインで送っているのです。

自分でも電車の中とか、時間が空いた時にメモを見返して「ああ、これはやれていないな」とか思い返したりしています。

※近藤先生が残してこられた「☆近藤の携帯メモの中☆」全文はこちらからダウンロードいただけます。

―先生自身が常に探求心を持って、勉強していらっしゃるんですね。
そうですね。自分が進化していかないとどんどん時代が変わっていってしまいます。バスケットボールもルールが変わりますので、指導者の役割として選手を鍛えることもそうですが、ルールを正しく伝えることも大切な役割だと思います。4年に1度変更されるルールにしても、選手が覚えてきてくれるわけではないので、まずは先行して僕ら指導者が理解していかないと教えられない。そういうこともあるので出来るだけ早く情報を自分の中に入れるよう努力しています。
また、指導者の方は、チームを強くしたい、良いチームを作りたいと、色々な目標設定をされていると思いますが、そこに向けて成長するためのヒントは日々を過ごす中で、色んなところに落ちていると思います。それを見逃さないように、目に入った時に「これだ!」と思えるような自分を常に作っておくことが大切なのです。それこそが強いチームを作っている指導者の条件だったりすると思います。大切なことは探求心を持つことと、野心を持つことですね。これらを持っていることが重要だと思います。
―探求心と野心ですか。
そうやって生きていると、新しい発見が多いので人生が楽しいですよ。私が日々を過ごす中で素晴らしいことを発見したとしますよね。そうすると、生徒に早くこのことを伝えたいなと思ったり、体育館に行って生徒たちと早く練習をしたいなと思うんです。そうした毎日を送っていくことで、どんどん自分自身が膨らんでいき、段々と器の大きい人間になれるのではないかなと思っています。
私は技術指導やバスケットボールを覚えることも大切だと思いますが、探求心や野心を持って、日々の仕事に一生懸命取り組むことが先だと思っています。特に私自身が高校生を指導していたので、中高生の先生方にはそういったことを心がけてもらいたいなと思っています。
―近藤先生がよく仰っている「指導者である前に教員でありたい」という言葉にはそのような想いが込められているんですね。近藤先生、本日は長時間にわたり色々なお話を聞かせて下さり、本当にありがとうございました。
ありがとうございました。

船橋市立船橋高等学校
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