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トップ指導者&選手特集

近藤 義行氏 インタビュー

この春に、船橋市立船橋高校を離れ新たなスタートを切られた近藤義行氏。トップ指導者&選手特集では、第57回から第60回にかけて近藤氏の超ロングインタビューをお届けします。
27年間もの間、高校バスケットボール界をけん引し続けてきた名将に、今だからこそ話せるエピソードや今後の夢、目標などを語っていただきました。
連載2回目となる58回では、市立柏高校で女子バスケ部を指導していた頃の思い出や、市立船橋高校男子バスケ部のチームワークを支える“心を籠めた工夫”を教えていただきました。

取材日2018年4月10日

―さて話は変わりますが、近藤先生は市立柏高校で14年間女子バスケット部を指導され、インターハイに5回もチームを導かれました。もともと千葉県はバスケが盛んな地域だと思いますが、近藤先生は3年目でインターハイ出場という結果も出されています。当時を振り返ってみて、思い出に残っているエピソードがあればお聞かせ下さい。
そうですね。当時を思い出すと、まずは生徒たちへの感謝と、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。指導を始めて3年目(25歳)のインターハイ出場は、出会い頭の事故みたいな形で出場できたようなものでした。それなのに3年目で結果が出たことや、全国大会で一番若い監督という理由で周囲から注目されたことに、私自身が天狗になってしまったことを記憶しております。
若い先生方には私の失敗談として話しをするんですが、当時私は指導者として何もかも分かっているわけでもないのに、勘違いをおこし、自分から出る言葉が変わっていってしまいました。例えば「そんなことも出来ないのか!なんでそんなシュートを落とすんだ」と上から目線で生徒たちと接するようになっていきました。それでも市柏の生徒たちは素直な選手が多かったので、一生懸命頑張ってくれたのですが、その勘違いも1年、2年と続けていくと、衝突が起きたり、生徒が練習をボイコットしたりして、色々なところで問題が起こりました。
今思えば私の勘違いが原因でしたので、申し訳なかったと謝らなければならない気持ちでいっぱいです。結局、翌年からも強いチームではありましたけれど、インターハイ予選を勝ち切ることが出来なくて、その後6年間もの間、全国大会に出場することが出来なくなりました。平成3年に赴任して、平成5年にインターハイ初出場、その後の6年間は全国へ連れて行ってあげられない期間が続いたんです。ようやく2回目に出られたのが平成12年の岐阜インターハイでした。
―そのようなことがあったんですね。全国大会に出場出来なかった6年間は、近藤先生にとってどのような期間だったのでしょうか?
この6年間の間も3~4年は勘違いを続けましたけれど、流石にこれではいけないと思い、勉強をし直して、自分の指導を変えていきました。しかし相手がいるものですので、一度落ちた者がまた直ぐに全国大会に出られる程、現実は甘くはありません。
特に千葉県には全国大会で結果を残すような昭和学院がありますし、インターハイに出場出来る2枠目には市立船橋や幕張総合と強い学校がいて、簡単には掴み取ることが出来ませんでした。
そんな中で徐々に生徒との関係も修復することが出来まして、平成12年にもう一度インターハイに出場することが出来たんです。あの時はとても嬉しかったですね。その後も2位としてインターハイに出場するのではなく、「絶対に優勝して千葉県1位で全国に出してやりたい!」という気持ちで挑んだ最後の年の県大会で優勝出来たことも嬉しい思い出です。
しかし市柏ではウインターカップに向けてチーム作りをすることが出来ませんでした。ウインターカップ予選は9月か10月あたりなのですが、3年生にとっては進路の関係で忙しくなる時期でもありましたので、その時期にまた全国大会の予選が行なわれるということが難しかった。一回でも良いから市柏の女子をウインターカップに連れて行ってあげたかったですけれど、出来ずじまいで転勤してしまったんです。
―ウインターカップ本選は12月ですし、予選の時期は高校3年生にとって進路との関係で難しい時期ですよね。
そうなんです。しかしウインターカップまでのチーム作りをすることが出来なかったという想いが心に残っていましたので、市船に赴任してからは、その点についてやり切ろうと目標を立てました。だから選手たちには「インターハイの最終日、最終戦を目指そう」とは言わずに「ウインターカップの最終日、最終戦を目指すんだ」と伝えるんです。インターハイはあくまでも通過点、あわよくば全国優勝することが出来ればいいけれど、そこにピークを持っていくためのチーム作り、選手育成ということはあまりしていなかったですね。洛南高校が色んな人に言われていたように、インターハイよりもウインターカップで強い市船というチームを作りたかったんです。
―“冬に強い洛南”と言う言葉があるくらいですもんね。
そうなんです。やはり指導者がチーム作りを誤って、急いだり焦ったりしてしまうと、選手が怪我をしたり、チームが壊れてしまうんですよね。キャリアのある指導者の方々は年間スケジュールの中でこの時期はこんな感じ、というような青写真を明確に描かれています。その中で私たちのようなチームは招待試合などで踏み台にされていくんです(笑)
しかし、冬に向けてチーム作りをすることで、日々選手たちとの接し方に余裕が出来てきたというか、選手たちを変に慌てさせないで済むようになってきたかなと思います。懐を深く構えて「良いんだ。本番は冬なんだよ」と落ち着いてチーム作りをすることが出来るようになった気がします。
また、市船では男子を指導していましたので、個の強化は必須ではありましたが、チームが一体となって勝利を掴み取る雰囲気を作りたかったんです。というのは私が高校生だった頃の市船は、応援団だろうが、ベンチにいようが、試合に出ていようが、本当に全員の仲が良かったし、一つにまとまっているチームでした。当時の思い出は私にとって大きな財産です。だからこそ市船では、ただ上手い選手に来てもらって強いチームを作るのではなく「市船に行きたい!市船でプレイしたい!」と思ってくれる気持ちの強い選手に来てもらい、全員のチームワークで勝っていく、そんなチームを作りたいと思ったんです。
―市船のチームワークは本当に素晴らしいですが、何か工夫をされていらっしゃるんですか?
それはその時その時で立場や役割を変えていくことがポイントなんです。例えば関東大会の時はメンバーだった子が全国大会では応援団に回ったり、県大会の一週目には応援団だった子が、2週目の試合でメンバーに入り試合に出て頑張るというように、その時や試合によって選手たちの立場と役割を頻繁に変えるようにしたんです。
そういった工夫をすると、それぞれの立場や役割の大変さに選手たちが気づくようになります。例えば、主力メンバーとしてチームを勝たせなくてはいけない重圧、難しさというものはメンバーに選出されない選手たちには感じ取ることは出来ないものなんです。逆もまた然りで、メンバーに入れない選手の悔しさとか想いというものは試合に出ている選手には分からない。ですから1年間、同じメンバーでずっと戦うのではなくバランスを取りながら役割や立場を変えるようにしたんです。
特に千葉県の場合はローカルルールを採用していました。インターハイ予選の1週目と2週目、この辺りは負ければ部活動を引退する3年生が山のようにいるわけです。例えば一回戦の試合はどうしても勝ち切りたい、そんな時に引退を控えている3年生の1人がメンバーに入れなかったとします。ある意味競争社会ですので、ユニフォームを勝ち取れなければ応援に回るということもあると思います。だけど、もしエントリー変更が試合毎に出来るようになって二回戦に駒を進めることが出来れば、この一人の3年生のためにも「何としても勝とう!」と試合に出ている選手たちは頑張れるじゃないですか。その試合にもし勝てたら、二回戦ではその3年生がメンバーに入れるかもしれない。二回戦の対戦相手がシード校で試合には出られなかったとしても、ユニフォームを着て、ウォーミングアップに参加したとか、こういう思い出も良いと思うんです。だからこそ、試合毎にエントリー変更が出来ることをルール化すれば、3年間一生懸命頑張った子どもの気持ちとか、親御さんの想いにも応えてあげられるんじゃないかと思っています。
それと、今の子供たちはシャイで自分の気持ちを言葉にすることが苦手なんですけれど、相手を思いやる気持ちを凄く持っているんですよね。先輩と後輩の上下関係も昔みたいにぎちぎちしていないし、平気でため口で話していて、僕からしたら可愛らしいんですけど(笑)そういう思いやりの気持ちを凄く感じたからこそ、千葉県のインターハイ予選では試合毎にメンバー変更が出来るようなローカルルールを採用したんです。
また、市船では選手一人一人のモチベーションをウインターカップの最終日、最終戦まで下げないように年間スケジュールの中で色々と工夫をしています。このモチベーションを保たせることには本当に苦労をしました。途中で気持ちが腐った選手が一人でも出てしまうと、必ずそこからチーム力というのは下がっていきますので、今度はその選手に対して気を遣わなくてはいけなくなるんです。だからどんなに上手い選手でも、メンバーに入れない選手でも、一人一人がチームの中で生きていなくてはいけない。選手を生かすためには、一人一人に目標設定をさせて、挑戦していけるような毎日を過ごさせてあげなくてはいけないんです。だから練習も全員一緒に同じメニューをこなします。どんなに下手な子であっても、1年間の中で必ず一度は公式戦のユニフォームを着られるようにエントリー変更も行なっていました。
―様々なことに気を配り、細やかな工夫をされていらっしゃったんですね。
そうですね。また、市船には「進路の関係でインターハイが終わったら引退します」「僕はウインターカップまで残ります」というものは一切ありません。全員がウインターカップの最終日、最終戦までを目指して最後まで切磋琢磨することが市船のルールなんです。従って入学してきた選手たちには最初にその話しをします。そしてウインターカップ開会式の前日に、ホテルで僕の部屋に一人ずつ呼んで通達をするんです。「お前は明日から、応援の役割で頑張ってくれ」とか「明日お前は17番ガードとして頑張ってくれ」と。あそこはもう泣かずにはいられません。あの瞬間が一番辛いんです。いつになっても辛い。一生懸命頑張ってきた選手たちには天国と地獄を味あわせますが、彼らがそこに向かって努力していったことはその後の人生に一生ついて回りますので、それだけは絶対に避けては通れません。
そして、例えばメンバーに選ばれなかった選手が、それを理由に私のことを恨むような指導だけは絶対にしないように、日々の指導の中で肝に銘じて指導してきました。日常生活の中でも、廊下ですれ違った時に「おはよう」の一言だけでは終わらせない。主力選手とか控え選手とかいったことは一切関係なく、必ず一人一人に対してスペシャルな話題を頭の中に一つ持っておくようにしていたんです。
「おはよう。この前の練習で出来なかったドリブルチェンジのところ、出来るようになったか?」とかね。選手たちも、そうやって聞くと答えてくれます。だから僕は、バスケットボール部全員分の話題を頭の中に入れておくように、自分自身で訓練をしました。
やはり部活動の時間だけ面倒を見れば良いというのは違うと思うんです。毎日一人一人の朝の「おはようございます」から夜の「おやすみなさい」まで、彼らの全てを引き受けているんだと私は考えておりましたので。
そうやって毎年選手たちは変われども“市船”というチームを作り上げて、最後のウインターカップ、東京体育館で全員が一つになって気持ちを爆発させるようにチームを作っていたんです。
―近藤先生の選手一人一人に対する心を籠めた想いが、市立船橋高校の強いチームワークを支えていらっしゃったんですね。しかし最近では時代の流れとともに指導にも変化が求められているのではないかと感じています。強豪校といえば厳しい指導も必要だと感じますが、近藤先生はその点についてどのように考えていますか?
ありがとうございます。指導の仕方については私としても両面が必要だと思っています。どちらかだけだと今の時代には合っていない。和気藹々もいいですが、選手を厳しく指導しビシっと掌握することも時と場合によっては必要です。ピリっとした緊張感のある空気は練習中に作っておかなくてはいけないとも思います。しかし365日それをやられたら、選手はたまったもんじゃないですよ(笑)
例えば私は、授業中、廊下で出くわした時、ホームルームで見せる担任の顔など、様々な“顔”を使い分けていました。今はやっていませんが昔はバスの運転手もやっていましたので、バスの運ちゃんの顔も持っていましたよ(笑)それぞれの“顔”により私がはっきりと態度を変えるので選手たちもやりやすくなるんです。例えば朝の自主練習の時間に厳しく叱られた選手が僕のクラスにいるとします。そうすると朝のホームルームでその子は項垂れたまま座っている。私が教室に入るなり「~ちゃん」とわざと呼んでみたり、クラスの女の子に「~ちゃん、下向いてるからさ、元気出せって言ってきてよ(笑)」と頼んでみたり。教室に入ってからスイッチを切り替えてあげると、生徒も安心して生活することが出来るようになるんです。
だからそのさじ加減を少しずつ変えながら「今の時期はそんなことに目くじら立てないで大丈夫。少し夢を広げるようなことで良いんじゃないか」とこちらが構えていれば、生徒もゆとりを持てるようになります。しかし我々指導者の気持ちとしては、怖さ故に中々生徒にゆとりを持たせられないんですよね。「気持ちがどっかにいってしまうんじゃないか。バスケットより、友達と遊ぶ方が楽しくなってしまうのではないか」と、私も昔はそう思っていました。
だけど、ある時から「そんなことを気にしていたら、選手たちは自立しないし大きな選手には育たない」と思うようになり、そこからは時間はしっかり与えるようにしたんです。その中で選手たちがトップアスリートとしての考え方を持って、毎日を過ごすことが出来るかは、実際に自由な時間を選手に持たせてみないと分からない。やはり考え方は親と一緒ですよね。子どもが心配だからといって何もかもしてあげると、子どもは成長出来ません。
厳しい指導と優しさの両面を使い分けることで、選手たちに最後の最後までモチベーションを保ったまま努力させられる、そのためには私自身も監督として、指導者として一秒たりとも手を抜かないように指導をしていました。
―厳しさと優しさを時と場合によって使い分けることで、選手の皆さんも良い切り替えが出来ているわけですね。
第59回に続く

船橋市立船橋高等学校
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