トップ指導者&選手特集

近藤 義行氏 インタビュー

この春に、船橋市立船橋高校を離れ新たなスタートを切られた近藤義行氏。トップ指導者&選手特集では、第57回から第60回にかけて近藤氏の超ロングインタビューをお届けします。
27年間もの間、高校バスケットボール界をけん引し続けてきた名将に、今だからこそ話せるエピソードや今後の夢、目標などを語っていただきました。
連載3回目となる59回では、近藤氏が高校生を指導する上で大切にしている指導理念や、チーム作りに対する考え方を語っていただきました。

取材日2018年4月10日

―続いては、市船バスケットボール部の魅力についてお聞きしたいと思います。市船の選手たちには、良い意味での「高校生らしさ」や「未完成な部分」が残っているなと試合を見ていて感じましたが、近藤先生は個性的な選手たちをどのようにチームとしてまとめているのでしょうか?
それに関しては二つの要素があります。一つ目は、選手の将来を考えて長期的なビジョンを描きながら指導をすることです。私が受け持った選手の中には、将来日の丸を背負って活躍するだろうと思えるレベルから、左手のドリブルシュートをマスターさせなければいけないレベルまで、とにかく様々なレベルの選手がいました。市船は公立高校ですので、入部してくる選手たち一人ひとりのレベルを見極めて指導を考えないといけないわけです。
例えば選手として上のカテゴリでも活躍しそうな選手には、選手生活を出来るだけ長く送れるように、そして26~27歳でピークを迎えられるような長期的なビジョンを持って高校3年間の指導をするように心がけています。将来を見据えずに、3年間詰め込むだけ詰め込んでしまうと、選手が疲れてしまってそこまでたどり着けなくなってしまうのです。今でいう燃え尽き症候群というやつですね。
しかし、選手によっては高校でピークを迎えさせた方が良いであろうと思うタイプもいます。「この選手は大学では活躍するのが厳しい。だからこそ高校で一度花を咲かせてあげよう」と思うタイプは早い段階から試合に起用したりします。
―そういったビジョンはどのあたりで判断をされるのでしょうか?
身体的な特徴や、声のトーンなども見極めの材料ですね。赤穂雷太(現・青山学院大学2年生)に初めて会った時、声変わりもしていなかったですが、足のサイズが大きくてこれから成長するだろうと思いました。逆に平良彰吾(現・拓殖大学3年生)は入学した時には既にがっしりとした身体になっていました。平良の場合、身長面での成長が厳しいと思ってからは、とにかく高校でトップレベルの選手にしようと考えました。大学に行けばあのサイズの選手は山ほどいますので、高校生の内に日本代表に選ばれたというお土産を引っ提げても、大学で頑張らない限りは埋もれてしまいます。そういった意味も込めて、平良は2年生の頃からスタートに起用したりと、高校生の頃に一回目のピークを迎えられるような指導をしました。
また、2014年の代に川島翔吾(現・立教大学4年生)という選手がいまして、川島は中学3年生の時点で197センチもある選手でした。でも身体をバランスよく使うことが出来ず、中学までは中々上手くいっていなかったのです。私は彼のご両親に「7年間で考えて下さい」と伝えました。「高校3年間で使えるように育ててしまうと、きっと彼は壊れてしまう。だから私は大学で上手く結果が出るように指導していくつもりです」と伝えたのです。可笑しな表現ですけれど「この子を高校3年間で素晴らしい選手にします」とか「ユニフォームを必ず用意しておきます」といったような甘い言葉を言って市船に来てもらおうとしていたら、この子の将来は絶対になくなっていく。そういう風に一人ひとりの将来を考えて選手育成をするということがまずは一つ目の要素です。
―選手一人ひとりの将来を見据えて、高校3年間の指導方針を決めていらっしゃるわけですね。
はい。それともう一つの要素は私の指導に対する考え方が変わったことです。私は「自分が教える選手たちを絶対に全国大会に連れて行ってあげたい」と強く思っていましたが、中学での実績がない選手たちをどのように指導すれば、目標としている全国にたどり着けるだろうかと真剣に悩んでいました。そしてその当時に出した答えは、強烈なリーダーシップを持った船頭がチーム(組織)を引っ張っていかなければ、全国にはたどり着けないという考え方でした。私自身がボスとして選手たちの先頭に立ち「それ行け!」とチームの舵を取るようなスタイルで指導をするようになりました。
その後もしばらくはそのスタイルでチーム(組織)を引っ張っていく指導をとっていましたが、いつからか私の指導に対する考え方に変化が起きました。ボスではなくリーダーでなくてはならない。そして今の時代に合ったリーダーシップの取り方が必要だと考えました。それまではあくまでもチーム(組織)に対する指導が大部分を占めていましたが、そういった指導よりも、選手一人ひとり(個)の持っている潜在能力を引き出してあげられる指導の方が良い指導なのではないか?と思うようになったのです。
選手自身ですら気づかない、埋もれている潜在能力を引き出してあげる指導というのでしょうか。もちろんチームという一つの組織を指導するのは大前提ではありますが、組織ばかりに囚われるのではなく、個の育成、市船というチーム(組織)を大きくするために、選手一人ひとりの潜在能力を引き出していくような指導が大事なのではないかと思うようになったのです。
そのような指導を心掛けるようになってからは日々の指導でも問いかけ指導が多くなっていきました。ただ答えを教えるのではなく「さっきのアウトナンバーで右にパスをしていたけど、あれはどういう意味だったんだ?」とか、「リバウンドからアウトレットパスが横に出たけど、今のプレイを見て他の選手はどう考えていると思う?」とか。そういう問いかけ指導が増えていきました。
その頃から、私が先頭に立つのではなく、選手の横とか後ろに立ちながら、チームの舵取りが出来るように変わっていきました。
―近藤先生の中でも指導方法に対して変化があったということでしょうか。
そうですね。今の日本には“温故知新、故きを温ねて新しきを知る”という考え方が必要なのではないかと思っています。昔からの日本文化独自の良さも残すけれども、全てをそのままにしていては今の時代にマッチしない。特に今の子どもたちには適していないのです。だから体罰問題にしても、次なる鋭い一手を打てる指導者が出てくるかどうかで、差が開いていくなと思いました。そのように私自身も考え方を変えて、「そうか、個を一つずつ伸ばしていって、最終的にチームとしてまとめ上げてしまえば良いのか」と思えるようになったのです。最初に「チームのルールはこうで、部則はこうだ。だからお前たちはこのルールを守らないと駄目なんだぞ!」と言ってしまうと伸びるものも伸びなくなってしまうのです。
2014年のウインターカップで3位になれた時に、3年生に青木太一(現・筑波大学4年生)という選手がおりました。今、青木は筑波大学に進学して真面目に頑張っていますけれど、当時は少々やんちゃでして、彼が筑波大学に進学したことを聞いた千葉県の中学校の先生方は「市船ってなんて学校なんだ!?」と驚かれていました(笑)
―それほどまでだったのですか?
青木は中学3年生の頃から中学校の担任の先生から私に連絡が入ってきて、相談を受けたりしていました。思い返せば色んなことがありました(笑)けれど、当時の私が指導スタイルを変えていなかったとして、彼を頭ごなしに怒ったり、チーム(組織)のルールを強要していたら今の“青木太一”は存在していないと思います。
また、青木だけではなくて、2014年のチームは個性派集団だったので、色んなことが起こりました。しかし最後にはきちんとまとまって、全国大会で3位という素晴らしい結果も残すことが出来たのです。
あの代は戸田寛太(現・青山学院大学4年生)にキャプテンを任せていたんですが、寛太がキャプテンだったことも大きかったです。最近では市船の卒業生が青学に進学する選手が多いのですが、みんな寛太を慕って行くんですよ。
―あの個性派集団をまとめ上げていた戸田選手のキャプテンシーは凄かったですね。
本当にそうです。私にとっても彼の存在は大きかったですね。本当に寛太様様です(笑)
少し話が逸れましたが、そのような指導を続けてきたので、選手には粗さも子どもっぽさも残るのです。でも私は、高校生のレベルでは未熟な部分があっても良いと考えています。逆に選手として出来上がってしまっていて、それを大学でお願いしても、選手として広がっていかないと思いますので。「まだ粗削りで、バスケットボールのことをよく分かっていない奴ですけど、よろしくお願いします」と大学の指導者に預けた方が、そこで形を色々と作って貰えると思うのです。
―市船特有のチームカラーには、そのような指導理念が隠されていたのですね。丁度2014年の学年のお話になりましたが、あの3位決定戦は見る人の記憶に残る、素晴らしい試合でした。魂のリバウンドで観客を魅了した川上海斗選手(現・東洋大学4年生)を始め、応援団の活躍も素晴らしく、本当にチームが一つにまとまっているように感じましたが、あれも日々の指導による賜物なのでしょうか?
ありがとうございます。それはやはり毎日の練習に対する姿勢、バスケットボールとの向き合い方が試合会場であらわれたのだと思います。生徒たちが一刻一秒の練習に真剣に向き合うからこそ、細胞の全てで市船バスケットを体現出来るようになるのです。だからベンチにいたとしても応援席にいたとしても、それは関係ない。試合で上手くいったプレイに対して全員が跳びあがって喜ぶのです。市船には冷めている選手は一人もいないのですが、それは全員に同じ練習をさせているからです。試合中にいつものパターンでブレイクが成功したとしますよね。アウトレットパスが出た瞬間に、市船の選手は応援団の選手たちも全員、次にどう動くのか分かるわけです。散々自分たちも練習でやってきたプレイを、仲間であるチームメイトが変わりにコートで成功させてくれた。そうすると「凄く嬉しい!」という気持ちになるのです。
―確かに自分も練習してきたプレイが試合で決まると嬉しいですね。自分の経験していないプレイだったとしたら、どこか他人事のようで疎外感を感じてしまうかもしれません。
そうなんです。そうなってしまうと、心が籠もった応援にならないのです。応援団の中から「早く負けろ、負ければ明日帰れる」と思う選手が一人二人と出てきてしまう。だからこそ選手たちに「そんな気持ちになんて絶対にさせない」という強い気持ちを持って、日頃の練習に対しても指導者が工夫することが必要だと感じています。
―近藤先生の工夫が、応援団を含めた市船の一体感を支えていらっしゃったんですね。
続いて、先ほどお名前も上がりました赤穂雷太選手についてお聞きしたいのですが、彼のような長身の選手をガードに起用しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
元々私は市立柏高校時代にビッグマンをポイントガードに据えたチーム作りをしたことがありました。2014年に亡くなられた大阪薫英高校の故長渡俊一先生に、若い頃指導法について教えていただいていたのですが、その長渡先生が得意としていたチーム作りが、中学時代にセンターを任されていた選手をポイントガードとして起用することだったのです。私も長渡先生にその部分を教わりまして、市柏時代に女子で170センチ超える身長の選手をガードに起用してみたのです。それが思いのほか上手くいき、2003年度のチームは長崎インターハイに出場することが出来ました。
そういった経験もありましたので、赤穂が市船に入ってきてくれた時に「よし、これは自分の指導者人生を賭けて、赤穂雷太という面白い逸材を将来フル代表で活躍出来るような選手に育てよう」と思いビッグガードを意識し始めました。今でいうアルバルク東京の田中大貴選手のようなイメージですね。
そういった意識がありましたので、平良たちの代から赤穂はスタートで使い始めました。そして赤穂の代になった年に、千葉県内の懇親会で、皆さんに向けて話をする機会をいただいたので公言したのです。「この代からは赤穂雷太を1番で使います」と。その時赤穂は194センチありましたから、「こいつは馬鹿か?」と思われたかもしれないです(笑)でもそうやって公言はしましたが、1年間やっていく中で必ずしも「1番だけで使いますと」は言っていない。1番が出来るように育てるのですけれども、県大会レベルだと赤穂を4番、田村伊織(現・青山学院大学2年生)を5番に起用して、ガードは小さい選手を使った方が強いチームになるんですよ。それで、関東大会レベルになると赤穂を2番3番あたりに上げて、全国レベルになると今度はポイントガードで使うという風に大会によってポジションを変更させていました。
―必然的に赤穂選手は全てのポジションが出来るようになりますね。
そうなんです。1番から5番まで、彼には全てのポジションをやらせました。戸田寛太もそうでしたし、私はオールラウンダーを育てることをずっと心掛けてきたのです。それは大学に進学して、今までと同じポジションを与えて貰えるとは限らない。高校生の時には5番を任されていても大学に進学したら身長的に2番や3番を任されることはよくある話です。
だから、いつコンバートされても大丈夫なように全てのポジションを経験させるように指導しています。
―具体的にはどのように違うポジションを経験させるのでしょうか?
市立船橋では11月の一か月間は全員のポジションを変える練習を行ないます。センターにガードをやらせてみたり、ガードにセンターをやらせてみたり。それで選手全員に違うポジションの苦労、大変さを感じさせます。自分のポジションに対する固定観念をなくさせることも大切ですね。何故11月にそれをやるかというと、1年間の中でその月だけが大会がないからです。
10月の終わりにウインターカップ予選が終わるので、その直後にポジションチェンジを全員にさせる練習をさせます。
そういう練習をやってきたからこそ、赤穂も大学でガードとして起用されるようになってくれたと思います。
―赤穂選手の今後の活躍が楽しみですね。昨年度のチームについてもお聞きしたいと思います。赤穂選手と田村選手が卒業して少しサイズダウンをした印象でしたが、キャプテンの保泉遼選手(現・青山学院大学1年生)と野﨑由之選手(現・専修大学1年生)の得点力は素晴らしかったですね。
ありがとうございます。この二人は同じシュート力を持った選手だったのですが、よく中身を見ると性格を含め、何から何までシュート力以外のプレイスタイルが全く違う二人でした。従って先ほどもお話ししたように二人を同じように育ててはいけないと思ったのです。同じポジションについて話をしているのですが、保泉と野﨑にはそれぞれ別のことを要求するようにして、二人の個性を潰さず、活かしていけるように考えながら指導をしました。
―試合を見ていて凄くスピードのあるチームだなと感じました。ボールが一つのところに留まっていないというんでしょうか…
バスケットの指導者は、多くの人が同じように考えていると思いますが「速い」というのは、スピードが速いということではなくて、クイックネスのことを指します。何をするにしても、ちょっとした動きが速いのです。
関東大会の時に埼玉工業大学の金子先生が試合を見て下さっていて、「市船の選手は集散が速い。転がったボールに皆が集まろうとして、取れた瞬間にサッと散っていく。その行動一つ一つが速い」と褒めていただいたことがあります。それは、バスケット以外のところで訓練をしている部分でもありました。例えば、掃除も速く行なうし、ベンチに帰ってきて水分補給も速くする。汗を拭くのもシャツを入れる動作も、何をするにしても私は速さを求めます。普段の生活からダラダラしないように指導すると、いつのまにか習慣になってくるのです。昨年度のチームには「赤穂も田村も卒業して、庄司の185センチが一番大きい選手なんだ。このサイズで全国の強豪と戦うとなると、よっぽどのことだぞ」と言いました。従って彼らには練習中だけでなく、コート以外のところでも相当鍛えました。
能代市バスケットボール協会が5月に開催している能代カップに市船も参加させていただいたのですが、その時に保泉と野﨑が他校のチームから「あの二人はシュートが入るぞ」とマークされるようになりました。それにより対戦相手のなかで能力の高い選手が、彼ら二人にビタっとつくようになってボールが回らなくなったんです。そういう苦しい経験を5月の能代カップでさせてもらって、そこからあのチームは大きく変わりました。外でボール貰えないのであれば、中でボールを貰うようにしたのです。通常インサイドでプレイする庄司とパトリックを外に出して、保泉と野﨑を順番にインサイドへ入れました。そして保泉と野﨑にもポストでボールを貰えるように動き方と身体の使い方を教えて、二人がインサイドプレイを出来るようになってからは、チームとして幅が広がってきたんです。
―身長の高い相手に対しても、ひるまずにプレイしていましたね。
はい。身長が小さかったとしても、足腰をしっかり鍛えればインサイドでもプレイ出来るようになります。これも市柏の時に経験させてもらったことです。平成16年度のチームに横山悠衣という選手がいました。
彼女は173センチあるスリーポイントシューターで、進学した専修大学でも活躍し、ユニバーシアード大会でスリーポイント王を獲得するような選手でした。しかし私は高校時代に彼女をシューターとして起用するのではなく、インサイドでプレイさせたのです。その変わりに、シュートが上手くて身長が180センチある梅澤裕貴という選手を、スリーポイントシューターで外に出し、横山にインサイドを任せるようにしたのです。
その代は昭和学院さんにも勝てて、千葉県1位でインターハイにも出場出来ました。
結果論ですが、彼女が大学で花開いて、大学卒業後もトヨタで活躍出来たのは、高校時代にスリーポイントだけを打たせる選手にしないで、インサイドプレイを覚えさせたことが大きかったのではないかなと思います。インサイドで身長の大きい選手を相手に鋭くピボットを踏み、ファウルを貰うプレイを覚えたことで足腰が安定して身体が強くなった。そういった経験もありましたので、それから私はシューターにインサイドプレイを徹底して取り組ませる期間を作るようにしたのです。
―保泉選手も野﨑選手も身体は決して大きくはないですが、安定した強さがありますよね。
そうですね。インサイドプレイをやらせることによって身体の使い方、力の入れ方を覚えてきました。また、そうすることで試合の終盤になってもシュートが落ちなくなりました。やはり、どれだけシュート力がある選手であっても疲れてくるとシュートタッチが微妙に狂ってくるのです。だから足腰を鍛えることによってその部分をカバーすることが出来ます。今年の3年生には大澤と大川という二人のシューターがいます。この二人のシュートはかなり入ります。ただし、彼らはまだ、私が考える大切な要素を持ち合わせていない。だから新監督には、「とにかく足腰を鍛えるといいよ。そうすれば教えなくてもシュートは入るようになる。シュートというのは天性のものだから、入る選手には教えては駄目なんだ。俺たちが口を挟むことではない。シュートという物に対しては近藤という血を入れるとおかしくなってしまうから、触ってはいけないんだ。しかし、そのシュートを全国トップレベルでも通用させるためには、足腰を鍛えてあげることとか、それ以外のことを俺たちがやってあげなければいけないんだ」と、彼にはそんな話をしてきました。
―そうだったんですね。苦しい時間帯にタフショットを決めてきた彼らの勝負強さは、足腰を鍛えることによって身についたものだったんですね。
第60回に続く

船橋市立船橋高等学校
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