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福岡大学附属大濠高等学校 バスケットボール部
片峯 聡太監督 インタビュー<前編>

トップ指導者&選手特集66回目と67回目の記事では、福岡大学附属大濠高校バスケットボール部の片峯聡太監督のロングインタビューをお届けする。
弱冠22歳という若さで名門・福岡大濠の監督に就任した片峯監督は、どんな想いを抱えて今日まで走り続けてきたのか…
前編となる66回目では片峯監督が指導者を志したきっかけや、大濠高校バスケットボール部の監督に就任した当時の想い、バスケットボールに対する考え方などを語っていただいた。

取材日2018年9月8日

―片峯先生が指導者になりたいと思ったきっかけをお聞かせください。
そうですね。学校の先生になりたいと思うようになったのは、教育者だった私の父や祖母の影響が大きかったかもしれません。幼い頃から二人の姿を見ていたこともあり、その頃から教育者になりたいなということは思っていました。その後私は大濠高校で三年間、故田中國明先生という素晴らしい指導者にバスケットを習うことになるのですが、学校の先生をしながら高校生にバスケットを教える田中先生の姿を見て、教員という仕事に更に強い憧れを抱くようになりました。大学も筑波大学に進学させてもらい、そこでもまた吉田健司先生という素晴らしい恩師に巡りあえて、益々バスケットを深く追求していきたいという想いと、その追求した知識などをアンダー世代の選手たちに還元したいという思いもあり、指導者の道に進むというところに落ち着きました。
―片峯先生がバスケットを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
それこそ父がバスケットボール部の顧問をしていまして、子供の頃にちょこちょこ遊びに行っている内にどんどん好きになっていきました。もともと運動が好きだったので、色んなスポーツをしていましたけれど、最終的にはバスケットが一番自分の中では楽しいなと思ったんです。小学校4年生まではバスケットと一緒に野球もしていたんですけれども、その頃からバスケット一本に集中するようになって、大学4年生まで競技を続けました。
―それでは片峯先生が大濠高校に進学した理由をお聞かせください。
中学生だった頃の私にとって、大濠高校は雲の上の存在でした。大濠高校の試合を見ていると選手一人一人の個性が強くて、先輩たちが凄く格好良く見えたのを覚えています。そういった憧れから「大濠高校に行きたいな」「ああいう格好良い選手になりたいな」という想いもあり大濠高校への進学を希望していました。またそれに加えて私が中学生の頃の最高成績が県大会ベスト4でしたので、高校では全国に行ってみたい気持ち、全国でトップになれるような学校でバスケットをやりたいと考えた時に、やはり自分の中では大濠高校しかないなと思っていました。そして何よりも田中先生の人柄に魅了されていたことも理由の一つです。なんて例えたら良いんでしょうかね、怖いんだけれども、人を惹きつける人柄なんです。私にも優しく接して下さって「頑張るんだったら来なさい」と言って下さった田中先生の懐の深さに魅力を感じて、大濠高校に進学したいと強く感じました。
―学生時代のお話しをお聞きしたいのですが、一学年下に橋本竜馬選手、酒井祐典選手、金丸晃輔選手など、現在Bリーグで活躍する選手が揃っていましたね。彼らが入学してきた時はどんな印象を持たれましたか?
そうですね、やっぱり3人とも上手な選手だなと思いました。それこそ橋本選手と私は幼馴染で、幼稚園の時からずっと一緒に過ごしていたのでよく知っている選手でした。年齢は私が一つ上でしたけれど、住んでいた家もすぐ近くで、幼稚園の頃から小学校までよく一緒に遊びました。中学校に上がる頃に竜馬は鶴賀先生が指導されていた百道中学校に進学したので、そこから少し距離は出来ましたけれど、彼が大濠高校に入学してからはまた一緒にプレイ出来たので楽しかったですね。ただ、橋本選手はもちろん、酒井選手にしても、金丸選手にしても、3人とも凄く上手かったですが、特別に目立つ選手かと言われるとそうではなかったんですよ。目立ったプレイはそんなになかったのですが、上手かった。僕らの代が2005年のインターハイで準優勝した時も、この3人の存在が大きかったと思いますね。橋本選手が控えで支えてくれたり、酒井選手がリバウンドをしっかり取ってくれたり、金丸選手がインサイドで得点を繋いでくれたりとか、彼ら3人の貢献度が凄く高かった。今でも私たちの代が集まって話をする時に「あの3人に支えられていたよね」という話になるくらい、彼らは入学してきた時から、チームへの貢献度というものは凄いものがありましたね。そういった素晴らしい選手たちが努力を続けてきたからこそ、今あれだけのスター選手になって活躍しているんだろうなと思います。

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―貴重なエピソードを聞かせていただきありがとうございます。ところで片峯先生は高校卒業後、筑波大学へ進学されましたが、どうして筑波大学を選ばれたのでしょうか?
幼い頃から指導者という道を意識していましたので、どうせやるのであれば、一流の大学に進学しようと思ったことが大きな理由です。私はずっと父から「一流になりたいのであれば、一流の物を見て、一流のことを勉強して、一流の人の話を聞きなさい」という教えをいただいていました。そういった父の教えもあり、最終的に教員になりたいと考えた時に、自分の持っていた情報の中では筑波大学が教育界の中で最高峰の大学だったのです。その一流と言われる筑波大学で最先端の知識を学び、教員になりたいという思いから、筑波大学へ進学させていただきました。
―片峯先生は、4年生時にチームのキャプテンとしてチームを引っ張っていられましたね。ご自身で振り返っていただくとどんなキャプテンでしたか?
そうですね。かなり厳しいことを言うキャプテンだったと思います。今でも大学の時のチームメイトと会って話をすると「怖かった」と言われます(笑)あの時は、それが良い意味で緊張感に繋がってくれれば良いと思っていましたので、厳しいことは言うキャプテンでしたね。でも私が何故周りに厳しく言うようにしているかと言うと、実は私はそこまで自分に厳しいタイプではないからなんです。私は末っ子で甘えん坊な性格でして、敢えて他人に厳しく言うことで、自分が率先して頑張らないといけない状況を作っていたと言いますか、自分で自分を裏切れないような状況を作るようにしていました。今もその部分は変わらなくて、機会があれば自分の目標を積極的に言うようにしています。目標を口に出すことで後ろに引けなくなる部分もありますのでね。
―そうだったんですね。末っ子で甘えん坊とは普段の片峯先生とは少しギャップを感じますね(笑)次の質問に移らせていただきます。片峯先生は大学卒業と同時に母校である大濠高校バスケ部の監督に就任されましたね。大濠高校に戻られた当時の心境をお聞かせください。
当時は「私で良いのか?」という気持ちがずっと心の中にありました。でもだからこそ、私を選んでくださった方々のためにも「片峯で良かったんだ」と言われるように頑張らないといけない。そのように自分自身にプレッシャーをかけて、日々の指導に向き合っていました。
でも、指導を始めた一年目は苦しかったですよ。一年目のインターハイは福岡から二校出場出来る中で、22年ぶりに大濠は出場機会を逃したんです。それは本当に苦しかったですね。選手たちに申し訳ないという気持ちもかなりありましたし「やるぞ!」と気持ちは昂っているんだけれども、思うように結果がついてこない。とにかく一年目は色んなことが難しかったですね。でも、その苦しい想いや経験があるからこそ、今の自分たちがあるのかなと思います。
―その「自分で良いのか?」という感覚が無くなったのはいつ頃なんでしょうか?
2014年のインターハイで優勝出来たことが大きなきっかけでした。私が大濠高校に指導者として入ることを最終的に決意した一番の理由は、“全国で優勝して田中先生を胴上げする”という目標があったからなんです。もちろん私自身が教員になりたかった、という理由も当然ありますが、それ以上に田中先生を胴上げするんだということに使命感を強く感じていました。私の高校時代の話になりますが、一年生時の新入生歓迎会で「全国優勝して田中先生を胴上げします」と私は目標を掲げました。だけどそれは叶わなかった。そして二年生の時も三年生でキャプテンを任された時も同じ目標を掲げましたが、どの大会も胴上げの一歩手前、準優勝で終わりました。だからこそ、自分が教員として大濠に戻ってくるとなった時に「絶対に田中先生を胴上げする」ということを自分の中で大きな目標と言いますか、使命感、達成しなくてはならない課題として掲げていました。だからこそ2014年に優勝することが出来て田中先生を胴上げ出来た時は、とにかくホッとしました。優勝の嬉しさとか、優越感とかそういった気持ちよりも安心感が先にきましたね。
―それほど大きなプレッシャーを感じていられたんですね
でもその年に優勝することが出来たからこそ、その経験を機に少しずつ自分の色を出していこうと思えるようになり、自分らしさというか、色んなことを考えられるようになり今に至るという感じです。
―片峯先生は指導をしていて、一番やりがいを感じられる瞬間はどんな瞬間でしょうか?
そうですね。やりがいを感じる時は、選手たちが巣立っていき、その後の彼らの成長や活躍している話を聞けた時に凄く嬉しいし、指導者としてやりがいを感じますね。大濠高校という学校は、素質のある選手をスカウトしていますけれど、それは出来上がった素質という意味ではありません。どんな方向にでも伸びていける、無限な可能性を秘めた選手をスカウトしていますので、それが高校三年間で花開くと私は考えていないんです。もちろん高校三年間での結果も必要ではありますが、その後彼らが、どんな人生を選択していったとしても、通用していけるような大きな蕾にして卒業させたいと考えているので、高校卒業後に自分自身の努力でその蕾を開花させた時には、蕾を大きくさせておいて良かったなと、指導者として本当にやりがいを感じます。
―片峯先生が大濠高校の指揮を執られてから決して楽な試合は一度もなかったかと思いますが、先生にとって忘れられない試合やターニングポイントとなった試合はありますか?
ターニングポイントになったなと思う試合は、ずっと勝つことが出来なかった福岡第一高校にウインターカップの福岡県予選で勝てた試合ですね。確か杉浦佑成(現・サンロッカーズ渋谷)たちが二年生の頃でして、身長の大きな選手もいるにはいたのですが、第一に勝つにはもう少し時間がかかるかなと思うような代でした。周囲もそう思っていた中でのウインターカップ予選だったのですが、決勝で大爆発しまして、勝ち切ることが出来た試合が印象に残っていますね。あの経験があと一年遅ければ、その次の年も苦労していたと思うのですが、あの時に勝ち切る経験が出来たことで、大濠全体の安心感にも繋がりましたし「よし!第一にも勝てた。次は全国優勝を目指すんだ!」と全国優勝のための準備を始めることも出来ました。そういう意味では大きなターニングポイントになる試合だったと思います。

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―勝因はどこにあったと思われますか?
その年の三年生と保護者の方たちの力も大きかったと思います。あの時の三年生は正直そこまで力のある学年ではありませんでしたが、とにかく一生懸命頑張る子たちでした。保護者の方たちも本当に一つになって色々と助けてくれまして、あの雰囲気はチームを強く成長させてくれましたね。だからこそ周りも思っていなかったようなナイスゲームをすることが出来て、ウインターカップにも出場することが出来たんだなと、私の中では凄く印象に残っています。
―ありがとうございます。ではここから片峯先生のバスケットボール指導についてお伺いします。前監督でいらっしゃった田中先生のスタイルは、個性豊かで攻撃的なバスケットの印象があります。しかし片峯先生が就任されてからは攻撃面の個性は残しつつもディフェンシブなチームに生まれ変わったような印象です。
片峯先生がディフェンスを強く意識するようになったきっかけをお聞かせください。
これは伝え方が少し難しいんですけれど、まず日本で一番能力に恵まれている選手が集まるチームであれば、オフェンスに集中するという選択肢もありだと私も思っています。だけれども、県内はもちろん、全国的に見ると私たちのチームよりも優れた能力の選手を有するチームが沢山いるわけで、それらのチームに対してオフェンス中心のバスケットをしてしまうと間違いなく痛い目にあいます。だからこそ私はディフェンスの必要性を強く感じていて、本当の強さの礎を築くためにもオフェンスだけでなくディフェンスも強固に作り上げる必要があると考えたのです。そのディフェンスに加えて、選手たちの能力向上、能力の高いチームを相手にどう戦うのかという戦術的な部分を私が鍛えていくことが出来れば、他を寄せ付けないくらいの力を持ったチームになれると考えているわけです。
実際にそういう考えを持ったのはインターハイで優勝した2014年だったのですが、実はその後の二年間、私たちにとって苦しい時期が続きました。全国大会に出場することは出場するのだけれども、一、二回戦で負けてしまう。U-18日本代表に選手が選出されていたことはありましたけれども負けは負けです。私の中でも選手たちに申し訳ない気持ちもありましたし、悔しい想いをさせましたけれど、その悔しい時期があったからこその昨年の優勝があったのだと今では思えています。そういう経験からもやはり勝ち続けるためには、ディフェンスとオフェンス、この二つの要素を身につけることが必要なのかなと思っています。
―ディフェンスと一口に言っても、様々なスタイルがあると思いますが片峯先生の理想とするディフェンスはどういうスタイルなのでしょうか?
私たちの目指すディフェンスは、堅実に守るところはきっちりと守る。トラップを仕掛ける時は積極的に仕掛けてターンオーバーを狙う。その両方を時と場面で使い分けられるようにすることが理想のスタイルです。私は相手を惑わすようなディフェンスを展開する、韓国代表のバスケットを勉強してきました。それこそ大事な試合を勝ちぬくことが出来たのは、堅実な守りと積極的なディフェンスの両方を織り交ぜたチェンジングディフェンスが上手くはまり、そこから自分たちの走るバスケットを出すことが出来たからだと思っています。具体的に言えばマンツーマンをしながら、ゾーンにしたり、一回のディフェンスの中でゾーンとマンツーを切り替えたりだとか、トラップを仕掛けてゾーンをしたりとかですね。オフェンスからしたら何をされているのか分からず混乱してしまうような状況を作り、気づいたらショットクロックがゼロに近づいているようなディフェンスを展開することが私の理想的なスタイルですね。
―それではオフェンス面ではどういったスタイルを理想とされているのですか?
それはやはりトランジションを早くして走るスタイルが理想ですね。様々なカテゴリーの試合を見ていて感じますが、コーチという人間は私も含めて、上手にしたいという気持ちがあり、オフェンス面で作り込み過ぎてしまう時があります。もちろんメイクの部分はバスケットのオフェンスにおいて非常に重要で、勝ち切るためには必要な部分ではあるのですが、私としてはスタンダードなスタイル、選手たち自身が判断して走って、一対一をするという要素が大事かなと考えています。高校生のカテゴリーですと、その部分が七割くらいを占めていると思うのです。作り込むメイクの部分は実はほんの二割程度。残りの一割に関してはファウルだとかターンオーバーなどですね、これが実際の試合内容の打ち分けだと感じています。
このさじ加減をコーチが勘違いして、メイクの部分を三割、四割にしてしまうと選手たちの良さも消えてしまうことがありますし、負けるはずのない相手に負けてしまったりします。
日々の練習においても、試合で二割しか占めないメイクの部分を限られた練習時間の七割に充てるのは非常に勿体ないですし、試合を振り返りながら自分たちに必要なことを練習していくことが大事かなと思います。また、私としてはこの七割の要素がキーになってくると思っていますので、今日の練習も走ることをベースにおいて、様々なメニューを行ないました。走る中で考える、走る中でシュートを打つ、走る中で一対一をする。この“走る”という七割の精度を高めていくことをオフェンスでは念頭においています。
―残りの二割、メイクの部分に関してはどのように取り組まれているのでしょうか?
まずはしっかりとしたガードを作り上げることが大切ですので、そこに重点をおいて取り組んでいます。きちんと判断することが出来る選手を育てられれば、残り二割の部分でもイニシアチブを握れるので、オフェンスを自分たちのペースで展開していくことが出来ます。
―それはどうしてでしょうか?
何故なら、オフェンスにとって重要なことは判断の下にプレイを組み立てることだと考えているからです。ハーフコートオフェンスに関しても同様で、良いプレイだなと思うものは、必ずと言って良いほどガードの素晴らしい判断によってオフェンスが展開されています。ディフェンスがここにいるから、逆サイドにパスをする。ディフェンスが目の前にいるから、わざとドライブをして、敵を自分に惹きつけてからパスをする。これらのプレイは理論に則った判断の下に展開されています。その判断するスピードが速ければ速いほどプレイの選択肢は増えるのですが、現在の日本の傾向としてはどうしても判断よりも先にテクニックがきてしまうところがあります。小学校や中学校などの試合を見ていても、能力の高い選手ほど、まずドリブルをついて、その次に判断をします。しかしそれではもう遅い。その一瞬の遅れからプレイの選択肢が減り、どんどんディフェンスに追い詰められてしまうのです。
もちろん、ハーフコートオフェンスを否定的に考えているわけではありません。ただし、ドリブルが出来る選手だけがドリブルをするのではなく、スペーシングや判断力をより磨き上げることがオフェンスにおいて重要なことではないかと考えています。
後編に続く

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