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國學院久我山高等学校 バスケットボール部
酒井 良幸監督 インタビュー<前編>

53回目のトップ指導者&選手特集では、都内有数のバスケットボール強豪校・國學院久我山高校で指揮を執る酒井良幸監督にお話を伺った。
前編では、酒井監督にとって母校である國學院久我山高校でバスケットボール部を指導することになった経緯や、生徒のやる気を引き出すために工夫している指導方法などを語っていただいた。

取材日2018年3月23日

―酒井先生がバスケットボール指導者になろうとされたきっかけを教えて下さい。
中学校1年生の時に体育の教員になりたいと思ったのがきっかけです。僕がバスケットに出会ったのが小学校5、6年生の頃で、マイケル・ジョーダンとかスラムダンクの影響がありました。中学校1年生から部活に入り、本格的にバスケ漬けの日々を送りました。その当時の体育の先生がバスケットボール部の顧問だったんです。中学校はそんなに強くありませんでしたが、とにかく一生懸命頑張りました。高校でもバスケをやりたいなと思っていて、でもどうせやるんだったら全国大会に出場するような学校で、頑張りたいと思っていたんです。その時に親には「バスケだけではなく勉強の出来る学校に行きなさい」と言われまして、勉強が出来てバスケットの強い学校を探して、見つけたのが久我山高校だったんです。その時から僕は久我山に来たかった。だけど僕自身はスポーツ推薦に選ばれるような実力はなかったので、とにかく勉強を頑張って受験で久我山に入ろうと思っていました。実は僕、手塚先生(※故手塚政則…國學院久我山高校バスケ部前監督)にお願いをして中学2年生の頃から久我山のバスケ部の練習に通っていたんです。
―それは、中学2年生の時に自ら手塚先生のところへお願いに行かれたんですか?
そうです。自分で頼みました。それで手塚先生も「いいよ」って言ってくださって。途中で「お前勉強の方は大丈夫なのか?」って言われましたけど(笑)もちろん勉強も頑張りましたので無事合格して久我山に入学したんです。でもそこから夢だった体育の教員になるまでは本当に大変でした。
―酒井先生が母校である久我山高校に戻って来られるまでには、どういった経緯があったんでしょうか?
久我山を卒業した後に手塚先生の母校でもある日体大に進学したんです。その後2軍で1年間プレイをしましたが、2年生からはトレーナーとして1軍につかせてもらったんです。その後4年生までトレーナーとして活動していたんですけど、4年生になっても就職先が決まらないんですよ。教員っていわゆる、就職活動があってないようなものなので、募集はあるんですけど結局最後は声がかかるのを待たなければいけない。
4年生の11月くらいになってもなかなか就職先が決まらず、これはいよいよ教員になれなかった時のことも考えなくてはいけないと思い、大学卒業後に夜間の専門学校に通うことを決めました。また、そのタイミングで運よく錦城学園高校から非常勤講師の依頼もいただき、昼間は高校で指導をしながら夜は夜間で学ぶ生活を3年くらいしていました。
専門学校を卒業した頃、とても良いお話をいただきまして、手塚先生に報告に行ったんです。そうしたら手塚先生が「その話は断れるのか?久我山に戻れないか?」と僕のことを推薦して下さったんです。その時手塚先生はまだ定年前だったんですけど教員を辞められ、数年間でしたが、外部コーチとして一緒に見ていただきながら徐々にチームを引き継いでいきました。
―そんなエピソードがあったんですね。しかし久我山高校のバスケットボール部と言えば手塚先生の作られてきた偉大な歴史があります。その歴史を引き継ぐというプレッシャーなどはありませんでしたか?
プレッシャーはかなりありました。ただ僕は、久我山で育てられましたので、久我山のバスケットスタイルを変えるつもりは全くありませんでした。久我山のバスケットスタイルを残したまま、プラスアルファで自分にしか出来ないことは何だろうと考えるところからのスタートでしたので、ある意味では苦労はしなかったです。
OBや関係者の方々からは「そんなに期待はしていないから、せめて東京都のベスト8には残れ」という雰囲気があり、皆さんは僕に変なプレッシャーを感じさせないようにありがたくも気を遣って下さっていたと思うんですが、僕としてはそれが逆に悔しかったですね。でもその悔しさが返って僕のエネルギーになりました(笑)
当時、手塚先生には「まだ指導力がそこまであるわけではないのだから、とにかく良い選手を獲得することが大切だ」と言われていました。リクルートについても色々とやらせてもらう中で、なかなか上手くいかず、断られることも多かったです。
そうして断られる中でふと気が付いたんですけど、生徒たちにはバスケットの強さや弱さだけではなく、久我山高校としての学校の魅力を発信していかないと根本的な解決にならないなと思うようになったんです。
その時から、どうやったら生徒が入学したいなと思える学校に出来るのか、雰囲気を作っていけるのかというところに力を入れて色々と取り組んできました。そこで魅力的なチームになるためにはまずはOBや学校関係者、そして生徒はもちろん保護者など沢山の人たちに愛されるチームでありたいと思い、そこにエネルギーを注ぎました。特にOBの皆さんには本当に温かいご支援、ご協力を頂きました。
―OBの方々はチームに欠かせない存在ですよね。ちなみに、酒井先生から見たリクルートの難しさや魅力はどの辺だと思われますか?
最初の2~3年は手塚先生について回らせていただいたので、ほとんど手塚先生が話して下さったんです。でもある時から「お前一人で行ってこい」と言われまして、そこからかなり大変でした(笑)だけど徐々に自分が話したことで入学してくれる生徒も増えてきて、こういう風に熱意を持って話せば入学してくれるんだと分かってからは、楽しいと思えるようになってきました。もちろん断られることも多々あります。だけど断る側の方も凄く言いづらいと思うので、なるべく相手に気を遣わせないように気を付けています。
また、とにかく学校に直接行ってお願いをするようにしています。うちに入学するかしないかは正直どちらでも良いんです。最後はご縁なので。だけど電話でお願いするとかではなくて、直接学校に足を運ぶことが大切なことだと考えています。
―ありがとうございます。手塚先生からチームを引き継いで一番苦労したなと思う部分はどんなところですか?
指導の仕方に苦労をしましたね。手塚先生は凄く厳しい方でしたので、最初僕も厳しく指導してみたんです。だけどそもそも自分と手塚先生は年も違うし、キャリアにも差がありましたので、あまり効果がありませんでした…(笑)だからモチベーションの上げ方とか僕も勉強をしまして、どうやったら生徒はやらされている感ではなく、主体的に取り組めるのか、というようなことはかなり考えました。手塚先生の指導は本当に素晴らしかったですけど、自分がそのままを真似しても生徒はついてこないと思ったんです。そういった部分は色々試行錯誤をしました。でも怒らなくてはいけない時もあるので、とても難しいです。
―ではどのように生徒のやる気を引き出されているのでしょうか?
まず生徒に「なんでバスケット(厳しい練習)をやっているのか?」と聞くようにしています。正直、プロ選手になれるような生徒は僅かです。だけど僕自身もそうでしたけど、プロ選手になれなくてもバスケットをやっている。では「どうしてバスケット(厳しい練習)をやるのか?」と聞くと「勝ちたいからです」と生徒は答えるんです。続いて「どうして勝ちたいんだ?」と聞くと「雑誌に特集されたい」「親孝行したい」といった返事が返ってきます。確かに今日の取材みたいに特集してもらうと親御さんも喜ぶわけです。だけどそういうことを突き詰めていくと親が喜ぶことは別にバスケットじゃなくても出来る。その中で皆はバスケットを選んだんです。そういうことを話していると段々人生論のようになってきます。何のために生きているんだろうって。でもそういうことは生徒たちによく話をします。大きな括りになってはしまいますが最終的に僕は、バスケットを通じて世界平和に貢献することが大切だと思っているんです。世界平和といきなり言うと大きな意味に取られがちですが、僕の中では今バスケットを一生懸命やることが世界平和につながっていると思うんです。最終的にはどんな職業に就いたとしても社会に貢献出来る人材になってほしい。だから今、自分の目の前にあることを一生懸命頑張れないならその先にある親孝行とか、社会貢献とか、世界平和とかは達成出来ないと思います。そういったことを話すと、生徒たちはきちんと取り組むようになります。「何のために」という部分が分かれば、いちいちこちらからやれと言わなくても大丈夫です。逆に言う方がやらなくなります。…でも言っちゃいますけどね(笑)
―そうやって「なんのためにやっているのか」ということに対して生徒自ら考えることで、やる気を促しているんですね
そうですね。「考える」という言葉が久我山にとっては大切なキーワードなので、そこがとにかく大事ですね。普通のチームが一つのことに対して十のアイディアが出てくるとします。だとしたら久我山では練習時間も限られているので、頭を使わなくてはいけない。一を百にするか千にするか、はたまた一万に出来るのか。要は発想力の部分です。自分でアイディアを広げられる力があるのかという、そういう力があるチームは強いです。こちらが求めているのは「一を言ったらそれを膨らませる力なんだよ」とは常に生徒たちに言っています。
―酒井先生が目指す國學院久我山高校の目標をお教えてください。
大きな目標としては日本一になりたいです。それは昔から変わらない目標ですね。20年前にウインターカップ準優勝という実績もありますし、そこはブレずに日本一を目指しています。だけど先ほども言ったように何のために日本一を目指すんだ?と突き詰めると、僕はバスケットを通して良い影響を与えられるチームにしたい、そしてそんな監督になりたいと思ったんです。例えばイチロー選手、本田圭佑選手が発信する言葉には強い影響力がありますよね。トップの選手が言うから周りの人に影響を与えられるんだと思います。だからこそ日本一になって、影響を与えられるチームを作りたいと思いました。でもその時に「じゃあ影響力があれば、日本一にならなくても良いのでは?」とも思ったんです。例えば東京ベスト4とかベスト8の実力でも誰が見ても感動するようなチームを作れば、もしかしたら日本一のチームよりも影響力があるんじゃないかなと考えて、そうすると勝たなくても良いんじゃないかな?と、極端な話ですがそうも思ったこともありました。日本一というのが目標ですが、それはあくまで目的である世界平和のための手段だということです。
―手段としての日本一とはどういう意味なんでしょうか?
日体大で僕が3年の時、インカレで優勝することが出来、その瞬間はとても嬉しかったです。だけど優勝した翌日に先輩が僕に「俺たち優勝したけど…それが何になるんだろう」と言ったんです。その時12月だったんですけど先輩は就職先が決まっていませんでした。学生だったのでインカレに優勝しても賞金はありませんし、進路も決まらない、日本一になったからといってこの先の人生を保証してくれるものは何もない。「日本一ってなんなんだろう?」と思った瞬間に、日本一になることが自分たちの目的になっていて、その目的を達成した瞬間に燃え尽きてしまったんです。そういった経験から何のために日本一になるのかという明確な意識がないと、仮になれたとしてもその瞬間に燃え尽きて終わってしまうなと思いました。だからといって、日本一を目指さなくてもいいというのは少し違う気もしましたし、やるからには日本一を目指したい。今ではなんのために日本一になるのかということを常に考えながら、日々頑張っています。でも逆に言ったらなんでもかんでも日本一になれば良いのか?ということでもなくて、良いチームを作って、見てくれる人たちが少しでも感動出来るようなチームとして日本一を達成出来たら最高ですね。だからこそまずは全国の前に、東京都の中で何かを感じてもらえるようなチームを作りたいなと思います。
―目指す目標は日本一だけれども、それはあくまで手段としてで、そこが終わりではないということなんですね。
そういうことになりますね。
後編に続く

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