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神奈川大学 男子バスケットボール部
幸嶋 謙二監督 インタビュー<前編>

―チームコンセプトの「Hard work beats Talent!」と「No Excuse」という言葉は決して格好をつけて言っているわけではありません。ハードワークが出来なければ戦えませんし、言い訳をしたらそこで終わりです。この二つは本当の意味で我々の生命線なのです―
静かにそう語る指揮官は、柔らかな笑顔の奥に誰よりも熱い闘志を潜ませていた。
関東大学リーグ3部への降格からわずか3年という短期間で、全国トップレベルの強者が揃う1部への昇格を掴み取った神奈川大学男子バスケットボール部。
トップ指導者&選手特集では、そんなチームを率いる指揮官幸嶋謙二監督のロングインタビューを前後編に分けてお届けする。
前編となる75回では、幸嶋監督のバスケットボールとの出会いや、神奈川大学バスケットボール部を指導することになったいきさつ、幸嶋監督にとって忘れられない試合など様々なエピソードをお話しいただいた。

取材日2019年3月16日

―幸嶋監督がバスケットボールを始めたきっかけをお聞かせください。
バスケットボールは中学校に入学した頃に始めたのですが、実は私は最初、バスケットではなくてテニスをやろうと思っていたんです(笑)
―ええ!テニスですか?
はい。私は中学校でテニス部に入ろうと思っていたのですが、地元の仲の良い先輩がバスケット部に入っていて、彼らに「仮入部だけでも良いから遊びに来ないか?」と誘われたのです。それで遊びに行ってみたら、先輩方が凄く優しくて、その出来事がきっかけでバスケットボール部に入ることを決めました。でも入部してから分かるのですが、実は物凄く厳しい部活だったんですけれど(笑)そこから見事にバスケットにはまっていきましたね。ただ、中学が厳しかった分、高校ではバスケットをやる気はあまりなかったのです。しかし私が進学した高校が、神奈川県立金沢総合高校という学校でして、ご存知だと思いますがそこには星澤純一先生という素晴らしい指導者がいらっしゃったのです。そんな恩師との出会いもあり、高校でもバスケットボール部に入部をしました。面白いことに、高校では私以外全員がバスケットボール初心者だったのです(笑)
―幸嶋監督以外は全員初心者だったんですか!?
そうなんですよ(笑)そんなこともあって決して強いチームではありませんでしたが、自由に楽しくバスケットをやらせてもらえました。また、入学当初172センチ程度しかなかった僕の身長が高校に入り伸びだしたことで、ガードだけでなく色々なポジションをやらせてもらえて、それも良い経験が出来たなと思いますね。
―星澤先生は当時男女ともにご指導されていたのですね。
はい。男子も女子もご指導されていて、一緒に5対5や1対1等のメニューをよくやっていました。星澤先生の口癖は「俺より上手くなってから、文句を言いなさい」でしたよ(笑)
今でもお付き合いさせてもらっていて、有難いことに我々の試合もよく見に来てくださいます。
―ちなみに幸嶋監督はどのような経緯で神奈川大学バスケットボール部をご指導されるようになったのですか?
私は高校卒業後に東海大学の体育科へ進学し、その後東芝で3年間選手としてプレイをしましたが、もともと指導者に対する憧れや、バスケットの現場で長く仕事がしたいという思いが心の根っこにありました。ですので、東芝を退社した後しばらくはコーチというか、トレーナーという形で活動を続けていましたが、当時はバブルがはじけて、次々とチームが廃部していく厳しい時代でした。私が最初についたチームは新日鉄でしたが、残念ながら1年で廃部になりましたし、次についた丸紅でも廃部を経験することになります。その丸紅の最後の試合を終えた打ち上げの席で、当時神奈川大学のコーチをしていた方と出会ったのです。その日初めてお会いしたのですが「幸嶋君、良かったら時間がある時にでも教えに来てくれないか?」と声をかけてもらったことが、今のチームを指導することになったきっかけです。あの出会いがもう20年前の出来事ですね。そこから神奈川大学にコーチをしに来るようになり、どんどん面白くなっていって「どうせやるのならば」という思いで筑波大学の大学院に通い修士を取りました。その後は神奈川大学の講師としてお世話になる形で今に至ります。
―素敵な出会いがあったのですね。ちなみに幸嶋監督は大学生を指導される上で、気を付けていることはありますか?
そうですね。最近では全てのカテゴリーに対して高い強度と精度が徹底的に求められていると思いますので、その部分は特に気を付けて指導しています。先ほど我々の練習を少し見てもらいましたけれども、ボールを受けにくるタイミングや、スクリーン一つに対する精度、ディフェンスのポジショニングなどは10センチ単位で突き詰めていく必要があるものなのです。こういった精度や強度に関しては、中学、高校でキャリアがあった選手たちにとっても難しい部分だと思いますので、こだわって指導するようにしています。プロチームのコーチにしてみたら我々なんかはまだまだ及ばないと思いますけれど…(苦笑)
―強度という言葉に関しては「練習の強度を上げる」といった使われ方が目立つように感じますが、これには少し抽象的な印象を受けます。具体的にどのような意味が込められているのか、幸嶋監督のご意見をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?
難しい部分ですね。「強度を上げる」というと「負荷を加える」ことをイメージする方が多いと思います。しかし、その負荷もどのレベルを目指しているのかということを明確にしなければ、選手たちは「がむしゃらに、速く走る」とか「ただ速くプレイをする」ことに目を向けがちです。うちに入学してくる選手にもよく見受けられる光景なのですが、速くプレイすることを優先してしまい、動きが雑になってしまうのです。相手ディフェンスは動いていないのに、焦って我慢しきれずに勝手に動いてしまったり、状況判断をしてからプレイをするということが、あまり出来ていないなと感じます。
スピードはもちろん大事なのですが、そのトップスピードをどのタイミングで出すかということが重要です。ディフェンス時も、焦ってヘルプポジションに動いてしまえば、パスを簡単に通されてしまいますし、ギリギリまで耐えて状況判断をした上で、トップスピードで精度の高いプレイが出来るか、ということが、私の求めている強度であったり、精度ですね。
―なるほど。その「強度を上げる」ためには、チームが目指すべき基準が大切になってくると…
そうなんです。例えば我々を例にあげると、神奈川大学が国際大会で他国のチームと戦うことや、Bリーグのチームと試合をすることはまずありえないですよね。では自分たちはどこで戦うのか。国内の大学リーグで、目指すチームはどこなのか、東海大学や筑波大学と戦うためにはどのレベルの強度が必要なのか、どの程度のコンタクト力や、スピードが必要なのか、ということを把握した上で、練習メニューに負荷を組み込み、選手たちに強度を求めていきます。ですので、何の指標もなく負荷を与えることや、ただ速さを求める練習は違うのではないかと思っています。
―ありがとうございます。強度という言葉に込められた意味が少し理解出来たような気がします。話は変わりますが幸嶋監督にとって忘れられない試合はありますか?
指導者としては、やはり3年前の試合が忘れられないですね。関東リーグ3部に落ちた入れ替え戦なのですが、あの試合が私の指導者人生の中で一番のターニングポイントだったと思います。あの試合に負けて3部降格を経験して「このままではいけない」という悔しい思いを抱き、一から考え直したことで今のチームがあると思っています。
―選手時代の忘れられない試合はありますか?
プレイヤーだった頃は、遥か昔のことなので(笑)あまり覚えていないのですが、実は高校生の頃に、神奈川県代表の国体チームに選出していただいたことがありました。1981年の滋賀国体だったと思うのですが、あれよあれよと準決勝まで勝ち進むことが出来ました。迎えた準決勝は地元の滋賀県が対戦相手だったのですが、1点差で負けたことを今でも覚えています。
―1点差ですか!それは物凄い熱戦だったんですね。
あの試合に勝っていたら、もしかしたら人生が変わっていたかな、なんて思います(笑)
試合内容はあまり覚えていないのですが、体育館全体が地元の滋賀県代表を応援するお客さんで埋め尽くされていて、今まで経験したことのない熱気で溢れていました。逆サイドのコートでは、東京代表対秋田代表が戦っていて、確か秋田が勝ったと記憶しているのですが、準決勝が始まる前に「この試合に勝てば次は能代が相手だ」なんて言っていたのを覚えています。私が通っていた高校は本当に無名の高校でしたので、神奈川県代表に選出していただいて、あのような貴重な経験をさせてもらえたので、あの試合は記憶に残っていますね。
後編に続く

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